二十七宿占いの説明を読む
占術について:二十七宿は、月が地球を一周する周期をもとにインドで生まれた占星術の体系で、天球を27の「宿」に分けて考えます。中国を経て日本にも伝わり、宿曜経(すくようきょう)と呼ばれる密教経典の中で体系化されたことから「宿曜占星術」とも呼ばれます。生まれた日にどの宿に月があったか、という考え方にもとづいて、その人の本質や運勢、相性を読み解きます。
宿曜経の方式では、生まれた日を旧暦(日本標準時の新月と二十四節気の中気から決まる暦)に直し、旧暦の月ごとに決まっている「1日の宿」(1月は室宿、2月は奎宿、3月は胃宿……)から、日数ぶん二十七宿を順に数えて本命宿を割り出します。当サイトもこの伝統的な旧暦方式で求めており、1900年〜2100年の日付に対応しています。閏月は前の月と同じ扱いです。旧暦の30日や閏月の生まれは、宿が重なったり戻ったりすることがあり、流派や資料によって扱いが異なります。
由来と怪談コラム:平安の暦に記された「密」の一字――宿曜経が運んだ曜日
この占いにまつわる言い伝えや不思議な逸話を、当サイトの見方とあわせて紹介する読み物です。
宿曜経は二十七宿の占いだけを伝えた経典ではありません。日・月・火・水・木・金・土の「七曜」も、9世紀の初めに空海が唐から持ち帰った宿曜経によって日本にもたらされたとされます。平安時代の陰陽師がつくった「具注暦」には、干支や吉凶の注記と並んで、すでに曜日が書き込まれていました。
藤原道長の自筆日記『御堂関白記』にも曜日の記載があり、1004年3月12日の「癸酉の日曜日」は、計算でも正しいことが確かめられています。興味深いのは、当時の暦で日曜日の欄に「密」という字が添えられていたことで、これはソグド語で太陽を意味する「ミール」に由来するといわれます。宿曜の占いを担う「宿曜師」は、藤原氏の時代、密教の行事だけでなく貴族の星占いにも広く携わっていたとされます。
当サイトの見方では、この「密」の一字は、はるか西方の太陽の名が、意味を失ったまま日本の暦にたどり着いた痕跡です。これは推察だが、平安の貴族にとってその字は、読めても由来の分からない、どこか秘密めいた印だったのではないでしょうか。毎朝暦をひらき、自分の運命を左右するかもしれない見知らぬ記号と向き合う――星の占いが人びとに与えた畏れは、そうした「分からなさ」から生まれていたのだと思います。
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