鴉番組 KARASU CHANNEL
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HOMESIGHTSEEINGひたちなか市の観光スポット|古墳と反射炉と干しいもが連なる海辺の町

ひたちなか市の観光スポット|古墳と反射炉と干しいもが連なる海辺の町

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

目次

この町の観光スポット(北から順)

番号は記事の紹介順(北から順)と同じです。ピンを押すと名前が出ます。位置はおおよそのものです。

  1. 国営ひたち海浜公園 かつての軍用地を整備した広大な国営公園。春のネモフィラと秋のコキアが丘を色づけることで広く知られている。
  2. 堀出神社とほしいも神社 阿字ヶ浦の鎮守で、茨城で初めて干しいもが作られた地の社。境内には『ほしいもの神様』をまつる小さな社がある。
  3. 酒列磯前神社 海に突き出した岬の丘にまつられる古社。参道の樹叢は県の天然記念物で、隣の大洗の社と対をなす信仰を伝える。
  4. 虎塚古墳 7世紀初めに築かれた、石室の壁に赤い文様が残る装飾古墳。東日本を代表する彩色壁画古墳として国史跡に指定されている。
  5. 十五郎穴横穴群 崖に無数の穴が掘られた、古墳時代終わりから奈良時代の横穴墓群。2024年に国史跡に指定された。
  6. 平磯海岸 約8000万年前の海底でできた地層が、波に削られて洗濯板のように並ぶ海岸。異常巻アンモナイトの化石で知られる。
  7. 那珂湊反射炉跡 幕末に水戸藩が海防のため大砲を造った反射炉の跡地。いまは公園となり、復元模型と移築された門が残る。
MAP DATA © OPENSTREETMAP CONTRIBUTORS
この町の基本情報(所在地・最終確認日・ご注意)を見る
所在地
茨城県ひたちなか市
最終確認
2026.10.05
ご注意
営業時間・料金・休業日は変わりやすいため載せていません。お出かけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。

ひたちなか市ってどんな町?

ひたちなか市は、茨城県の県央に位置する、水戸市の東隣の市です。1994年に勝田市と那珂湊市が合併して生まれました。旧勝田市は工業の町として、旧那珂湊市は水戸の外港として栄えた港町として、それぞれ異なる顔を持っており、その二つが一つの市に重なっているのが、この町の特徴です。

この記事では、市内の観光スポットを緯度の大きい順、つまり北から順に紹介します。丘の花畑から始まり、海辺の神社、白亜紀の岩礁、古代の墓、幕末の工場跡へと南へ下りていく道筋です。花の名所として知られる一方で、土地の下には古墳時代から近世までの長い時間が積み重なっています。

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1. 国営ひたち海浜公園

国営ひたち海浜公園は、ひたちなか市の海沿いにある、面積350ヘクタールにも及ぶ国営の公園です。1991年に最初の約70ヘクタールが開園し、その後、何度も拡張を重ねてきました。現在、実際に公園として使われているのは約215ヘクタールで、全体の約6割にあたります。国の機関が管理する公園で、茨城を代表する花の名所です。

丘の斜面に花が広がる景色が有名で、4月ごろのスイセンやチューリップ、5月ごろのネモフィラ、10月ごろのコキア(ホウキグサ)が季節ごとに見ごろを迎えます。ネモフィラの植栽が始まったのは2002年、コキアは2005年に試験的な植栽が始まっています。いまでは、この二つの花が公園の顔になっています。

一方で、この土地の過去はあまり知られていません。1938年に陸軍の水戸飛行学校と飛行場が建設され、戦後の1946年にはアメリカ軍の射爆撃場として使われました。広大な跡地が日本に返還されたのは1973年のことです。当サイトの見方では、かつて軍の訓練と爆撃のために使われた平らな台地が、いまは無数の花が風に揺れる場所に変わっていることは、土地が背負ってきた時間の大きさを感じさせます。花の見ごろは年によって前後するため、時期を確認してからお出かけください。

2. 堀出神社とほしいも神社

堀出神社は、ひたちなか市阿字ヶ浦町にある神社で、太平洋を望む高台に建っています。創建は江戸時代の1663年とされます。隣り合う村が境界を争っていた折、藩の役人が現地を調べると、二重に水垣で囲まれた窪地が見つかり、掘ってみると刀や槍などが出てきました。藩はこれを近くの磯前明神の本体だろうと判断し、村の鎮守として祀られるようになったと伝わります。社名は、この「掘り出された」という逸話に由来するといいます。

社殿は1671年に完成し、藩主の徳川光圀が神鏡を奉納したとされます。この神社が近年、別の意味で注目されるのは、干しいもとの縁です。阿字ヶ浦は、1895年に照沼勘太郎が茨城県で初めて干しいもづくりに成功した土地とされています。その功績をたたえるため、2019年に境内の末社として「ほしいも神社」が創建されました。

境内には顕彰碑が建てられていて、干しいもの普及に尽くした5人の人物が「ほしいもの神様」として並べられています。そのなかには、静岡の技術を学んで事業化した人物や、サツマイモの増産に力を尽くした農学者もいます。茨城県が干しいもの生産量で日本一になるまでには、こうした人々の長い努力がありました。現役の神社なので、参拝の際は静かに歩き、境内の案内に従ってください。

3. 酒列磯前神社

酒列磯前神社は、ひたちなか市の東の海岸に突き出した岬の丘に鎮座する神社で、古い書物に名が載る式内社のなかでも、格の高い名神大社に数えられます。主祭神は少彦名命で、那珂川の対岸にある大洗磯前神社と深く結びついた神社と考えられており、二つの社で一つの信仰を形づくっているといわれます。

社の創建については、平安時代の記録に、856年に大洗の海岸へ神が現れたと記されており、少彦名命は酒列にまつられたと伝えられています。社名の「さかつら」は、周辺の海岸の岩が南に傾いている中で、一部だけ北に傾いている「逆列」の地名から来たとされ、のちに酒の神という意味合いで「酒列」の字になったといわれます。中世には一度社殿が失われましたが、近世になって水戸藩主の徳川光圀が再建を始め、次の藩主が現在の場所に遷座して再興しました。

拝殿の上には、リスとブドウの彫刻があり、名工・左甚五郎の作と伝えられています。参道の両側には、椿やタブノキ、スダジイなどの広葉樹が茂り、茨城県の天然記念物に指定されています。周辺には水戸藩ゆかりの景勝地や、平磯の海岸も近く、神社とあわせて海辺の歴史に触れられます。現役の神社なので、参拝の際は静かに歩き、神域としての静けさを守ってください。

4. 虎塚古墳

虎塚古墳は、ひたちなか市中根にある前方後円墳で、国の史跡に指定されています。築かれたのは古墳時代の終わりごろ、7世紀の初めと考えられています。周溝を含めた全長は約63メートルあり、後円部には、石を組んだ石室が設けられていて、その壁に赤い顔料で描かれた絵が残っています。

壁画は、白い土を塗った石の壁に、赤い顔料で幾何学的な文様や、大刀、盾、靫といったものを描いたもので、東日本を代表する彩色壁画古墳とされています。1973年の発掘調査で石室が開けられないまま見つかり、中の空気や湿度を測ったのは、日本で初めての試みだったといいます。現在は石室を保存するための施設が作られ、壁画の傷みを防いでいます。

古墳のある一帯は史跡公園として整備されています。ただし、石室の内部への立ち入りは制限されていて、春と秋の限られた時期にだけ一般公開されます。1400年ほど前の人々が、赤い色に何を託したのか。その答えは分かりませんが、当サイトの見方では、被葬者の権威を示すだけでなく、死者を守るための祈りが込められていたのではないでしょうか。公開時期は年によって変わるため、事前に確認してください。

5. 十五郎穴横穴群

十五郎穴横穴群は、ひたちなか市中根にある横穴墓の群れで、虎塚古墳のすぐ近くにあります。台地の崖に穴を掘って作られた墓で、古墳時代の終わりから奈良時代にかけてのものと考えられています。2014年度までの調査で272基が確認されており、総数は300基を超えるのではと推測されています。東日本最大級の横穴墓群とされ、2024年2月に国の史跡に指定されました。

この群は、虎塚古墳のある指渋地区、館出地区、笠谷地区の三つの支群からなります。出土品には、勾玉や切子玉、須恵器などのほか、金具のついた大刀や刀子があり、ある刀子は、正倉院に伝わる品との類似も指摘されています。こうした品々は、市の埋蔵文化財調査センターに保管されています。

名前の「十五郎」は、昔、曽我十郎・五郎の兄弟がここに隠れ住んだという伝説に由来するとされています。実際は古代の墓ですが、後の人々が穴を見て、有名な物語を結びつけたのです。穴の一つひとつは、かつて誰かを葬った場所なので、見学の際は静かに過ごし、崖や穴には登らず、案内に従ってください。

6. 平磯海岸

平磯海岸は、ひたちなか市の磯崎から平磯にかけて続く海岸で、白亜紀の地層である那珂湊層群の岩礁が連なっています。この地層は、約8000万年前の海の斜面に積もった砂岩と泥岩が交互に重なったもので、その後の隆起でゆるやかに傾き、波に削られて、柔らかい部分だけが深くえぐられています。その姿から、「鬼の洗濯板」とも呼ばれるような、独特の地形が生まれました。

この海岸は、化石の産地としても知られています。アンモナイトやウニ、二枚貝、サメ、さらにはモササウルスの化石も発見されており、とくに形が変わった異常巻アンモナイトが群れて見つかることで有名です。茨城県内で、中生代の地層が初めて確認された場所でもあります。清浄石から南の約330平方メートルの海岸は、県の天然記念物に指定されています。

海岸には、徳川光圀が名付けたと伝わる清浄石や、周囲とは逆の南向きに傾く畜生岩など、見どころがあります。自然の造形でありながら、水戸の殿様たちがその価値を認めて名を付けたという点にも、この海岸と人との長い関わりが感じられます。岩場は滑りやすく、潮の満ち引きにも注意が必要です。天然記念物の岩や化石は、持ち帰ったり傷つけたりせず、見るだけにとどめてください。

7. 那珂湊反射炉跡

那珂湊反射炉跡は、ひたちなか市栄町にあるあづまが丘公園の中にあります。ここは、幕末の水戸藩が、外国の船に備える海防のために、鉄製の大砲を造る反射炉を築いた場所です。徳川斉昭が幕府から多額の資金を借りて建設に取り組み、1855年に第一炉、1857年に第二炉が完成しました。

ここで造られた大砲は約20門とされ、各地の台場に据え付けられました。しかし炉は十分に稼働できないうちに、天狗党の乱で破壊されてしまいます。それでも、この事業は岩手の釜石で近代的な製鉄を始めるきっかけとなり、日本の製鉄業の出発点として評価する研究者もいます。現在は、炉の復元模型が公園の中に置かれています。

公園には、水戸藩の江戸藩邸から移築された山上門も建っています。かつて勅使を迎える門で、この門をくぐった人々のなかには、佐久間象山や西郷隆盛らがいたとも伝えられます。近くには、反射炉の安全を祈って再建された稲荷があり、大工の飛田与七と煉瓦職人の福井仙吉の友情にまつわる話も残ります。戦前の教科書にも載ったという、技術者たちの人間味のある物語です。史跡の周辺は住宅地に近いため、静かに見学してください。

名物・食べ物・飲み物

ひたちなか市の名物は、何といっても干しいもです。市内の干しいもの生産量は日本一とされ、茨城県は全国の生産の約9割を占めます。茨城での干しいもづくりは、阿字ヶ浦の照沼勘太郎が1895年に始めたとされ、1908年ごろには那珂湊に静岡から製法が伝わり、本格的な生産が始まりました。サツマイモに向いた土壌と、冬の乾いた気候が、干しいも作りに適していたと説明されます。

もう一つの顔は、港町ならではの海産物です。那珂湊港、平磯港、磯崎港があり、カツオなどが水揚げされます。かつては水産加工が盛んで、煮だこの加工はピーク時に全国の約3分の1のシェアを占めたこともあるとされます。ただし近年は漁獲量の減少を受けて、加工の原料を輸入に頼る場面も増えています。

食べ物の背景には、いずれも土地の気候と歴史が関わっています。店ごとに味や加工の方法が違うため、実際に出かけて、自分の舌で比べてみるのも楽しみです。

珍しい生き物・自然

ひたちなか市の自然の見どころは、海岸線と花の丘です。平磯海岸の白亜紀の岩礁や、酒列磯前神社の参道に茂る椿とタブノキの樹叢は、県の天然記念物に指定されています。阿字ヶ浦の海水浴場は、周辺の港の整備の影響で砂が減る傾向にあり、毎年砂を補う作業が行われています。

国営ひたち海浜公園の花の景色も、この町の自然の一つです。ただしこの花畑は、もとは戦争のために使われた平らな台地の上に、人の手で作られたものです。自然と人の営みが重なって生まれた景色だといえます。

市の南側を那珂川が流れ、その河口の港である那珂湊は、水戸藩の外港として栄えました。川と海が出合う場所にあるという地理が、この町の歴史を形づくってきました。

そのほか、この町の特筆すべきこと

ひたちなか市のなかには、「武田」という地名があります。この土地は、甲斐源氏の武田氏発祥の地とされています。江戸時代には水戸藩の領地となり、那珂湊は水戸の外港として栄えました。水戸藩の殿様たちにゆかりのある名所が、いまも海辺に点在しています。

近代になると、勝田に日立製作所の工場が数多く建てられ、工業が盛んになりました。しかし太平洋戦争の末期には、勝田が艦砲射撃を受けるという歴史もあります。現在の穏やかな街並みの下には、そうした出来事も重なっています。慰霊の場や戦跡では、静かに敬意を払って過ごしてください。

那珂湊では、「みなと八朔まつり」という隔年の祭りが開かれます。市を代表する歴史ある祭りで、豪華な屋台山車が並び、「獅子とみろく」という芸能は国の選択無形民俗文化財になっています。2011年の東日本大震災では、市内で最大震度6弱を観測し、津波の被害も受けました。港の町が自然の力と向き合ってきた歴史も、この町の素顔の一つです。

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夜の顔:この町の怪談と心霊スポット

ここまで、ひたちなか市の昼の顔を歩いてきました。花の丘、神話をまとう海辺の社、白亜紀の岩礁、古代の墓、幕末の大砲の跡。どの場所にも、人が暮らし、祈り、ときに大きな犠牲を払ってきた時間が重なっています。

その厚みは、夜の顔にもつながります。古墳や横穴墓、軍用地の跡、港町の歴史を抱えるこの町には、語り継がれる怪談や噂があるかもしれませんが、この記事では特定の場所には触れず、探し歩くことも勧めません。当サイトの見方では、怪談とは土地の歴史や人の祈りが、人の心に落とした影のようなものです。古い墓所や史跡は、いまも大切な場所であり、夜間に立ち入るようなことは控えるべきです。

鴉番組では、実話怪談や心霊スポットを、行くためではなく記録するために載せています。昼の景色を知ったうえで、夜の物語も読んでみてください。

お出かけの前に

営業時間・料金・休業日・アクセスは変わりやすいため、この記事には載せていません。お出かけの前に、各施設や自治体の公式サイトで最新の情報をご確認ください。天候や災害の影響で立入が制限されている場所もあります。

よくある質問

Q. ひたちなか市の観光は、どの順番で回るとよいですか?

A. この記事は北から順に紹介しています。北部の海浜公園、東の海岸(阿字ヶ浦・平磯・磯崎)、中根の古墳群、南の那珂湊と、エリアごとにまとめると回りやすくなります。距離があるため、移動手段は市や観光協会の公式案内で確認してください。

Q. ひたちなか市の名物は何ですか?

A. 干しいもが代表的です。ほかに、カツオなどの海産物や那珂湊の水産加工品が知られています。取り扱い店は変わるため、出かける前に最新の情報を確認してください。

Q. 古墳の石室は見学できますか?

A. 虎塚古墳の石室内は立ち入りが制限されており、春と秋の限られた時期にだけ一般公開されています。公開の有無や日程は年によって変わるため、ひたちなか市の公式の案内で確認してください。

参考にした公式サイト・資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/ひたちなか市
https://ja.wikipedia.org/wiki/国営ひたち海浜公園
https://ja.wikipedia.org/wiki/堀出神社_(ひたちなか市)
https://ja.wikipedia.org/wiki/酒列磯前神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/平磯海岸
https://ja.wikipedia.org/wiki/虎塚古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/十五郎穴横穴群
https://ja.wikipedia.org/wiki/那珂湊反射炉
https://ja.wikipedia.org/wiki/干しいも

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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