鴉番組 KARASU CHANNEL
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HOMESIGHTSEEING盛岡市の観光スポット|三つの川と南部の城下町を北から歩く

盛岡市の観光スポット|三つの川と南部の城下町を北から歩く

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

目次

この町の観光スポット(北から順)

番号は記事の紹介順(北から順)と同じです。ピンを押すと名前が出ます。位置はおおよそのものです。

  1. 姫神山 盛岡市北部、渋民にそびえる標高約1,124メートルの独立峰。ピラミッド型の山容が、石川啄木の望郷の歌と重なる。
  2. 高松の池 盛岡市北部の高松公園にある池。約1.4キロの遊歩道が巡り、日本さくら名所100選にも選ばれた市民の憩いの場。
  3. 石割桜 盛岡地方裁判所の構内に立つエドヒガン。巨大な花崗岩の割れ目から伸び、国の天然記念物に指定されている。
  4. 開運橋 盛岡駅の近く、北上川に架かる盛岡のシンボル。明治の駅開業とともに生まれ、岩手山を望む景色が愛される。
  5. 盛岡城跡公園(岩手公園) 南部氏が築いた総石垣の城の跡。東北では珍しい白い花崗岩の石垣が、公園の中に今も堂々と残る。
  6. もりおか啄木・賢治青春館 旧第九十銀行本店の赤レンガ建築を生かした文学館。盛岡で青春期を過ごした啄木と賢治の足跡をたどれる。
  7. 盛岡八幡宮 盛岡の総鎮守とされる神社。南部氏が城下の守りとして崇め、秋まつりの山車行事でも知られる古社。
  8. 原敬記念館 「平民宰相」と呼ばれた原敬を紹介する記念館。盛岡藩出身の政治家の足跡と、故郷への思いをたどれる。
MAP DATA © OPENSTREETMAP CONTRIBUTORS
この町の基本情報(所在地・最終確認日・ご注意)を見る
所在地
岩手県盛岡市
最終確認
2026.10.05
ご注意
営業時間・料金・休業日は変わりやすいため載せていません。お出かけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。

盛岡市ってどんな町?

盛岡市は、北上盆地の北部に広がる岩手県の県庁所在地です。市の中心部では、北上川、雫石川、中津川の三つの川が合流し、西に岩手山、北に姫神山、東に早池峰山といった山々が、町の景色の背景になっています。江戸時代には南部氏の城下町として整えられ、1889年(明治22年)の市制施行を経て、2008年には中核市に移行しました。

この記事では、市内の観光スポットを緯度の大きい順、つまり北から順に紹介します。啄木の故郷の山から始まり、桜の名所の池、城跡、近代の洋風建築、橋、神社を経て、南の平民宰相の記念館へと南下する道筋です。2023年にはニューヨーク・タイムズの「2023年に行くべき52カ所」にも選ばれた町です。観光の顔だけでなく、川と山に抱かれた土地の時間もあわせて眺めてみてください。

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1. 姫神山

姫神山は、盛岡市の北部、旧渋民村の側にそびえる標高約1,124メートルの独立峰です。ピラミッドのように整った山容が特徴で、日本二百名山や新・花の百名山の一つに数えられます。市街地からは北に望め、盛岡の人々にとっては、毎日の景色に溶け込んだ山でもあります。

この山を深く愛した人として知られるのが、渋民で育った歌人・石川啄木です。故郷を離れてからも山への思いを歌に詠んだことから、姫神山は啄木の望郷の山としても語られてきました。登山道は一本杉口、こわ坂口、田代口、城内口の四つがあり、なかでも一本杉口が最も親しまれていると紹介されています。

山名の由来には、坂上田村麻呂が立烏帽子神女を祀ったことが始まりとする伝承があります。この神女が姫神とされ、山の名になったと伝えられます。これは推察だが、周囲に高い山がなく、どこから見ても形が際立つこの山が、古くから神の宿る場所として意識されたのは、自然な成り行きだったのかもしれません。登山の際は、季節や天候に合わせた装備と、事前の情報確認が必要です。

2. 高松の池

高松の池は、盛岡市北部の高松公園にある池で、池のまわりには約1.4キロの遊歩道が整備されています。ゆっくり歩いても20分ほどで一周でき、市民の散歩やジョギングの場としても親しまれています。市街地から少し離れ、静かな水辺の空気を味わえる場所です。

この公園は、日本さくら名所100選に選ばれています。岩手県内で選ばれているのは2か所のみとされ、毎年4月の下旬から5月の初めにかけて桜まつりが開かれます。桜が遅く咲く北国らしく、本州の多くの地域より春が遅れて訪れることを実感できる景色です。

桜のあとには、5月中旬から月末にかけて牡丹園が見ごろを迎え、40種を超えるバラが植えられたバラ園もあります。季節ごとに花が移り変わるため、同じ池でも訪れる時期によって違う表情を見せます。当サイトの見方では、盛岡の春は短いぶん、人々が桜や花を愛でる時間に特別な思いを込めているように感じられます。

3. 石割桜

石割桜は、盛岡地方裁判所の敷地内にある桜の古木です。巨大な花崗岩の割れ目から幹を伸ばした姿で知られ、大正12年には国の天然記念物となりました。品種はエドヒガンで、樹齢は360年を超えると言われ、幹の直径は約1.35メートルあります。

この巨石は、かつて家老の屋敷内にあったもので、落雷を受けて割れ目が生まれたと伝えられます。その割れ目に落ちた種が根を張り、長い年月をかけて石を押し広げながら育ったというのが、石割桜の物語です。石の硬さと桜の根の力が、時間の中で拮抗してきた様子が、そのまま姿に現れています。

開花は4月の半ばごろから始まります。冬の長い北国で、まだ冷たい空気の中に花が開く光景は、多くの人にとって春の訪れを告げる合図です。構内は公共の場所であり、裁判所の業務が行われているため、見学の際は静かに、周囲に配慮して訪れてください。石を割るほどの力で生き続けた木は、盛岡の人々の粘り強さの象徴としても語られています。

4. 開運橋

開運橋は、北上川に架かる橋で、盛岡駅前にあります。1890年(明治23年)の鉄道の開通と盛岡駅の開業にともなって、駅と市街地を結ぶために架けられました。初代の橋は、当時の岩手県知事・石井省一郎が私費で架けたと紹介され、橋の名前も、盛岡の発展に役立つと信じて名づけられたと推測されています。

初代の橋は、明治29年と43年の洪水で流されたと言われます。その後、大正期に2代目が架けられ、現在の橋は1953年(昭和28年)に架けられた3代目とされます。川の氾濫に何度も悩まされながら、橋が再び架け直されてきたことが、この町が川と共に生きてきた証です。

橋の上からは、天気がよければ上流方向に岩手山が望めます。この橋には「二度泣き橋」という別名もあります。転勤で盛岡に来た人が、初めて渡るときは遠くまで来たと泣き、去るときはこの町を離れがたく泣くという逸話に由来すると言われます。観光で訪れる人も、ここに立てば、この町が人の心に残る理由を少し感じられるかもしれません。

5. 盛岡城跡公園(岩手公園)

盛岡城は、南部氏の居城として、1598年(慶長3年)に南部利直が築城を始め、1633年(寛永10年)ごろまでに完成した城です。約35年もの歳月をかけて築かれ、白い花崗岩を積み上げた総石垣の造りが特徴です。土塁の多い東北地方の城の中では、異彩を放つ存在として知られています。1937年(昭和12年)には国の史跡に指定されました。

天守にあたる三階の櫓は、のちに天守と改称されたものの、明治初頭にほとんどの建物が解体されました。その跡地は1906年(明治39年)に岩手公園として整備され、設計は造園家の長岡安平が手がけています。2006年には、愛称として「盛岡城跡公園」が選ばれました。

現在の城跡では、天守台や本丸、二の丸を囲む石垣が見どころです。建物は残っていなくても、石垣の積み方、角の反り、曲がり具合から、築いた人々の技術と、守る側の緊張を思い描くことができます。当サイトの見方では、建物が消えても石垣だけは残るという事実が、城がどれほど堅く築かれたかを物語っているように感じられます。城下の中心にありながら、木々に囲まれた静かな散策の場になっています。

6. もりおか啄木・賢治青春館

もりおか啄木・賢治青春館は、旧第九十銀行本店本館として建てられた建物を活用した施設です。建物は1910年(明治43年)の竣工で、設計は、啄木・賢治と同じ盛岡中学校出身の建築家・横濱勉と紹介されています。レンガ造りの近代洋風建築で、19世紀末の欧州の建築運動の影響を受けた意匠が特徴とされます。

この施設は、石川啄木と宮沢賢治が中学生時代を過ごした盛岡を主題に、二人の青春期をたどる文学館です。1階には初版本や資料を展示する常設展示室と、喫茶のスペースがあり、2階では企画展やコンサートが開かれる展示ホールが設けられています。二人の歴史を示す略年表も、見どころの一つです。

啄木も賢治も、盛岡で多感な少年期を過ごし、そののちに日本の文学を代表する存在になりました。町の中心部にあるこの建物で、二人が見ていた景色を想像しながら展示を見ると、盛岡という町が育てた感性がよくわかります。これは推察だが、川と山と城下町が近く、季節の変化がはっきりしているこの町の環境が、若い詩人たちの感受性を磨いたのかもしれません。

7. 盛岡八幡宮

盛岡八幡宮は、盛岡の総鎮守とされる神社です。伝承では、1062年に源頼義が戦いのさなか、岩清水八幡宮を勧請したことが起こりとされます。のちに南部氏が盛岡城を築く際、守りの神社として社殿を改めたと伝わります。1593年には南部氏による建て替えがあり、1680年には南部重信が櫛引八幡を勧請し、現在の地へ移したとされています。

社殿は、山のふもとにある拝殿と、もともと八幡山の頂に小さな祠を中心にしてあった本殿とで構成されます。盛岡が城下町として形づくられていく中で、この神社が人々の信仰の拠り所であり続けたことがうかがえます。

毎年行われる秋まつりでは、山車行事が行われることでも知られ、城下町の暮らしと信仰が結びついた景色が見られます。現役の神社ですので、参拝の際は信仰の場であることに配慮し、静かに訪れてください。南部氏の治世から現代まで続く祈りの場として、盛岡の人々の心を支えてきた場所です。

8. 原敬記念館

原敬記念館は、盛岡市の南部、本宮にある記念館で、盛岡出身の政治家・原敬の足跡を紹介しています。原敬は1856年、盛岡藩の家に生まれ、1918年(大正7年)9月29日に第19代の内閣総理大臣に就任しました。軍部大臣と外務大臣を除く閣僚のすべてを政友会の党員が占めた、初の本格的な政党内閣を組織したことで知られます。

爵位を持たない平民であったため「平民宰相」と呼ばれ、当時は流行語になりました。各地に「平民食堂」が開かれたと伝えられるほどの人気でした。号は「一山」を用い、故郷の盛岡への思いを持ち続けた人としても語られます。墓所は盛岡市の大慈寺にあり、墓石には「原敬」とだけ刻まれていると紹介されています。

原敬は1921年11月4日、東京駅で刺されて亡くなりました。記念館では、政治家としての業績とともに、歴史の転換点に立った一人の人間としての生涯を知ることができます。事件については、史実を静かに受け止める姿勢で向き合いたいところです。故郷では今も、盛岡が生んだ宰相として語り継がれています。

名物・食べ物・飲み物

盛岡の食といえば、盛岡三大麺とされる、わんこそば、盛岡冷麺、盛岡じゃじゃ麺です。なかでも盛岡じゃじゃ麺は、旧満州で食べた中国の炸醤麺をもとに、戦後、盛岡で工夫を重ねて生まれた料理と伝えられます。平たいうどん状の麺に、肉味噌、きゅうり、ねぎをのせ、食べ終わったあとに卵スープの「チータンタン」で締めるのが特徴です。

わんこそばは、少しずつ椀に入れられたそばを、次々に食べる岩手ならではの食べ方です。盛岡冷麺は、歯ごたえの強い麺と、冷たいスープが特徴の麺料理として全国に知られます。もちもちとした麺や、辛みのある薬味が、盛岡の食文化の幅を表しています。

町の昼を支えるパン文化も、盛岡の暮らしの一部です。具材をコッペパンに挟んで食べる形が親しまれてきました。店ごとの味は変わるため、お出かけの際は最新の情報を確認してください。

珍しい生き物・自然

盛岡市は、北上川、雫石川、中津川の三つの川が市街地で合流する、川の町です。西に岩手山、北に姫神山、東に早池峰山と、四方を山に囲まれており、橋の上からも山々を望めます。

中津川は、市街地を流れる川で、秋にはサケが遡上し、産卵する姿が見られます。橋の上から川をのぞき込み、サケを探す人の姿が見られることも、この町の秋の風物詩です。都市の中心にある川にサケが戻ってくることは、川と人の関係が丁寧に守られてきた証拠でもあります。

気候は大陸性の特徴が強く、冬は冷え込みが厳しく、市街地では氷点下10度前後まで下がることもあります。年間の霜の日が多く、積雪よりも放射冷却による路面の凍結に注意が必要とされます。一方で夏は比較的過ごしやすく、熱帯夜はほとんどありません。

そのほか、この町の特筆すべきこと

盛岡という地名は、1691年に藩主・南部重信と僧の連歌から生まれたと伝えられます。町の歴史はさらに古く、延暦22年(803年)には、坂上田村麻呂が志波城を築いたとされます。南部氏は1588年に岩手郡と紫波郡を完全に支配下に置き、盛岡城は1599年ごろに体裁を整えたと言われます。

明治になると、1870年に盛岡県が置かれ、1872年に岩手県に改称されました。1890年には鉄道が通り、1982年には東北新幹線が暫定開業して、北の玄関口として発展しました。

夏には、さんさ踊りや、チャグチャグ馬コといった祭りや行事も有名です。チャグチャグ馬コは、1978年に選択無形民俗文化財に選ばれた行事で、人と馬の暮らしの深いつながりを今に伝えています。

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夜の顔:この町の怪談と心霊スポット

ここまで、盛岡市の昼の顔を歩いてきました。城跡の石垣、啄木が愛した山、川を遡るサケ、巨石を割る桜。どの場所にも、人が暮らし、祈り、時に大きな力に向き合ってきた時間が重なっています。

その厚みは、夜の顔にもつながります。盛岡にも、噂として語られる場所があるかもしれませんが、探し歩くことはおすすめしません。当サイトの見方では、怪談とは土地の歴史や地形が、人の心に落とした影のようなものです。川の氾濫に何度も悩まされ、城下を整えてきた歴史を知るほど、静かな場所への敬意が深まります。

鴉番組では、実話怪談や心霊スポットを、行くためではなく記録するために載せています。昼の景色を知ったうえで、夜の物語も読んでみてください。

お出かけの前に

営業時間・料金・休業日・アクセスは変わりやすいため、この記事には載せていません。お出かけの前に、各施設や自治体の公式サイトで最新の情報をご確認ください。天候や災害の影響で立入が制限されている場所もあります。

よくある質問

Q. 盛岡市の観光は、どの順番で回ると効率がよいですか?

A. この記事は北から順に紹介しています。市街中心部の城跡・橋・青春館・石割桜のエリア、北部の高松の池と姫神山方面、南部の記念館方面と、エリアごとにまとめると回りやすくなります。距離があるため、移動手段と季節の道路状況は、自治体や公式の観光案内で確認してください。

Q. 盛岡の名物は何ですか?

A. わんこそば、盛岡冷麺、盛岡じゃじゃ麺の盛岡三大麺が特によく知られています。店ごとの内容は変わるため、出かける前に最新の情報を確認してください。

Q. 冬に訪れても大丈夫ですか?

A. 盛岡は冬の冷え込みが厳しく、路面の凍結にも注意が必要です。姫神山など山方面は積雪で登れない時期もあるため、天候や道路情報を確認し、無理のない計画を立ててください。

参考にした公式サイト・資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/盛岡市
https://ja.wikipedia.org/wiki/盛岡城
https://ja.wikipedia.org/wiki/石割桜
https://ja.wikipedia.org/wiki/盛岡八幡宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/姫神山_(岩手県)
https://ja.wikipedia.org/wiki/原敬
https://ja.wikipedia.org/wiki/中津川_(岩手県)
https://tabi-mag.jp/iw0241/
https://www.tohokukanko.jp/attractions/detail_1122.html
https://www.gltjp.com/ja/directory/item/18730/
https://hugkum.sho.jp/462997

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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