甲府市の観光スポット|信玄の城下と昇仙峡の渓谷をたどる盆地の県都
目次
この町の観光スポット(北から順)
番号は記事の紹介順(北から順)と同じです。ピンを押すと名前が出ます。位置はおおよそのものです。
- 金櫻神社と御岳の里 昇仙峡の上流、御岳の山あいに鎮座する金峰山信仰の中心社。杉木立と水晶の宝にまつわる由緒が伝わる。
- 御岳昇仙峡 花崗岩を荒川が削り出した約5キロの渓谷。覚円峰の絶壁と仙娥滝が、国の特別名勝の中心をなす。
- 積翠寺と要害山城 武田氏の館を守る詰めの城として築かれた山城。信玄誕生の地と伝わり、国の史跡に指定されている。
- 武田神社(躑躅ヶ崎館跡) 信玄が暮らした躑躅ヶ崎館の跡に建つ神社。三代にわたる武田氏の政治の中心地で、城下町の原点でもある。
- 湯村温泉 弘法大師の発見とも、鷲が傷を癒した湯ともいわれる古い温泉。信玄の隠し湯と、文人が愛した湯の町。
- 甲斐善光寺 信濃善光寺の本尊を迎えるため信玄が建てた寺。川中島の戦いの余波で生まれた、もう一つの善光寺。
- 甲府城(舞鶴城公園) 甲府駅のすぐ北、一条小山に築かれた石垣の城。天守台だけが残り、復元された櫓と門が城の姿を伝える。
- 山梨県立美術館 ミレーの「種をまく人」「落ち穂拾い、夏」で知られる美術館。芸術の森公園の中にある、県民の肝いりの館。
この町の基本情報(所在地・最終確認日・ご注意)を見る
- 所在地
- 山梨県甲府市
- 最終確認
- 2026.10.05
- ご注意
- 営業時間・料金・休業日は変わりやすいため載せていません。お出かけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。
甲府市ってどんな町?
甲府市は、山梨県のほぼ中央、甲府盆地の北寄りに市街地が広がる県庁所在地です。市域は南北に細長い三日月のような形で、いちばん低い笛吹川沿いは標高250メートルほど、北端の金峰山は2,599メートルに達し、一つの市のなかに2,350メートルもの高低差があります。1519年に武田信虎が居館を移し、甲斐国の府中という意味で「甲府」と呼んだのが地名の始まりとされています。
この記事では、市内の観光スポットを緯度の大きい順、つまり北から順に紹介します。渓谷と古社の山間部から、信玄ゆかりの山城と館跡、そして城下町の中心にある甲府城、盆地西部の美術館へと南下していく道筋です。戦国の記憶と、渓谷の岩が重なる町の厚みを味わってみてください。
1. 金櫻神社と御岳の里
金櫻神社は、昇仙峡のさらに奥、荒川の上流にあたる御岳町に鎮座する神社です。社伝では5世紀に金峰山で創祀されたと伝わり、山岳信仰の中心社として栄えました。祭神の中心は、国づくりに関わる神々と日本武尊などで、幕末までは蔵王権現の名で呼ばれていたとされます。山そのものを神の宿る場所と見てきた、甲斐の人々の祈りの形がうかがえます。
神宝として、丸く磨かれた水晶の「水の玉」と「火の玉」が伝わっている点も、この社らしい特徴です。金峰山の頂には五丈岩という巨岩があり、里宮と山頂が一続きの信仰として結ばれてきました。水源の山でもあるため、田畑を潤す水の神としても祈雨の祭りが行われたと伝わります。境内の杉の群れは市の天然記念物に指定されています。
現在の朱塗りの社殿は、1955年の火災で古い社殿などを失ったあと、1959年に再建されたものです。国の重要文化財だった中世の本殿を失った出来事は、地元の人にとって大きな痛手だったはずです。これは推察だが、山深い土地に残る古社ほど、火や水という身近な災いと向き合ってきた歴史が濃いのかもしれません。現役の神社ですので、参拝の作法と静けさへの配慮を忘れずにお訪ねください。
2. 御岳昇仙峡
昇仙峡は、荒川が花崗岩を深く削ってつくった渓谷です。長潭橋から仙娥滝までの約5キロにわたり、柱状に割れた花崗岩や安山岩の奇岩が次々に現れます。大正12年(1923年)に国の名勝、1953年に特別名勝へ指定され、秩父多摩甲斐国立公園を代表する景勝地として知られています。
見どころの中心は、水面からほぼ垂直にそびえる高さ約180メートルの覚円峰と、その麓にかかる落差30メートルの仙娥滝です。仙娥滝の名は、月に昇った女性・嫦娥の神話にちなむとされ、日本の滝百選にも選ばれています。花崗岩でできた天然のアーチ「石門」など、岩の形に名が付いた場所も多く、歩きながら見つける楽しさがあります。
古くは、金峰山へ登る修験の道として人が通った谷でした。いまの渓谷沿いの道は、江戸時代後期の天保年間に、炭を焼く村の人々が城下へ荷を運びやすくするため開いた新道が基になっており、1843年ごろに完成したと伝わります。観光地になったのは明治以降で、1887年に「御嶽昇仙峡」の名が付けられました。最も人が多い時期や、車の通行規制がある日もありますので、事前に確認して訪れてください。
3. 積翠寺と要害山城
要害山城は、甲府の北にそびえる標高780メートルの要害山に築かれた山城です。武田信虎が躑躅ヶ崎館に移った翌年の1520年6月に築いたとされ、館に何かあったときの詰めの城という役割でした。1991年に国の史跡に指定され、2017年には続日本100名城にも選ばれています。
翌1521年、駿河の今川方の武将が甲斐へ攻め込んだとき、信虎は妻の大井夫人をこの城へ避難させました。その最中の11月3日に、のちの武田晴信、つまり信玄が城中で生まれたと、当時の記録に残るとされています。麓の積翠寺には産湯に使ったと伝わる井戸があり、生誕の地としての記憶を今に伝えます。
武田氏の滅亡後は豊臣系の大名が城を修築し、現在も残る石垣はその時期の技術によるものと考えられています。城は関ヶ原の戦いのあとに役目を終えました。当サイトの見方では、館と山城をセットで築いた発想には、平時の暮らしと戦の備えを同じ場所に置く、戦国大名の現実的な感覚が表れています。登山道は整備されていますが山道ですので、足元の準備をして歩いてください。
4. 武田神社(躑躅ヶ崎館跡)
武田神社は、武田氏の居館だった躑躅ヶ崎館の跡地に建つ神社で、祭神は武田信玄です。館は1519年に信虎が築き、信虎・信玄・勝頼の三代にわたって領国支配の中心になりました。1582年に武田氏が滅んだのち、甲府城が築かれて政治の中心が南へ移ると、館は役目を終えました。
神社として形が整ったのは大正時代のことです。明治期から信玄を祀る社を建てようという動きがあり、大正8年(1919年)に社殿が完成しました。意外に思えるかもしれませんが、信玄の評価は時代によって揺れてきました。父の信虎を追放した人物という見方が根強かった一方、明治後期の郷土史家たちは忠孝にかなう信玄像を掘り起こして、顕彰の流れをつくっていきました。
神社には、国の重要文化財の太刀「吉岡一文字」が神宝として伝わります。毎年4月12日の例祭の前後に開かれる信玄公祭りは、いまも甲府の春を代表する行事です。現役の神社ですので、境内では参拝の静けさに配慮して見て回りましょう。城下町が南へ動いたあとも、この北の一角に人が集まり続けてきたことが、信玄という人物への思いの強さを物語っているように感じられます。
5. 湯村温泉
湯村温泉は、甲府駅の北西に広がる古い温泉地です。開湯には、808年に弘法大師が見つけたという説と、傷ついた鷲が湯で傷を癒していたのを村人が見つけたという説があり、いずれも伝承の域を出ません。戦国時代には武田信玄の隠し湯のひとつとして語られ、上田原の戦いのあとに信玄が30日間湯治したという話が軍記に見えます。
江戸時代後期には、葛飾北斎が諸国の奇景を描いた団扇絵のシリーズに「甲州湯村」を取り上げました。明治以降は、井伏鱒二や太宰治、松本清張、山口瞳など、多くの作家や俳人が長く逗留した土地としても知られています。作家たちがここで筆を進めたという事実は、湯の町が持つ落ち着いた空気を何よりよく示しています。
背後の湯村山には、武田信虎の時代から使われたという山城の跡があり、頂上には烽火台が2022年秋に再建されました。2021年には、信玄の生誕500年にあたって、呼び名を「信玄の湯 湯村温泉」に改めています。温泉街では近年、歴史ある建物の保存や再開発の動きも続いていますので、古い寺社と新しい取り組みが同居する町歩きができそうです。
6. 甲斐善光寺
甲斐善光寺は、1558年に武田信玄が甲府北東部の板垣郷に創建した浄土宗の寺です。長野の善光寺と区別するため、甲斐善光寺や新善光寺とも呼ばれます。開山は信濃善光寺の住職だった鏡空上人と伝えられています。
創建の背景には、信濃で上杉謙信と争った川中島の戦いがあります。戦火が善光寺平に及ぶなかで、信玄は信濃善光寺の本尊の阿弥陀如来像や寺宝を、人々とともに甲府へ移させました。1558年9月に如来が甲斐へ到着したときには、領民が大いに喜んだと記録されています。本堂が完成し入仏供養が行われたのは1565年で、寺の整備はその後も長く続きました。
これは推察だが、信玄が本尊を迎え入れた狙いは、信仰への帰依だけでなく、信濃支配の正統性を示すことにもあったと思われます。戦いに巻き込まれた仏像と人々を保護するという名目が、領国経営の大きな後ろ盾になるからです。現役の寺院ですので、参拝の心構えで静かに境内を歩いてください。
7. 甲府城(舞鶴城公園)
甲府城は、甲府駅のすぐ北の小高い丘、一条小山に築かれた平山城です。武田氏の滅亡後に甲斐を治めた徳川氏のあと、豊臣系の大名の時代に築城が本格化したと考えられています。江戸時代には将軍家に近い親藩の城となり、のちに柳沢吉保が入る時期もありました。1873年に廃城となり、2019年に国の史跡に指定されています。
この城の大きな特徴は、石垣の技術にあります。甲斐では戦国期に石垣を積む技術が根づいておらず、西国系の石垣積みが初めて導入された城だと説明されています。天守台は残りますが、天守があったのかどうかは、文献でも発掘でも決め手がなく、いまも議論が続いています。何度も調査が重ねられてなお答えが出ない謎は、この城の魅力のひとつです。
明治以降は鉄道の開通で城跡が分断され、1904年に舞鶴城公園として開放されました。その後の整備で、鍛冶曲輪門や稲荷櫓、2013年には鉄門が木造で復元されています。城内には、柳沢氏の時代に本丸にあった毘沙門堂が移され、市内の寺で太子堂として残っていたと確認された、貴重な遺構の話もあります。石垣に近づいて、積み方の違いを見比べるのが、甲府城の一番の楽しみ方です。
8. 山梨県立美術館
山梨県立美術館は、市の西部、芸術の森公園の中にある美術館で、1978年11月3日に開館しました。山梨県は長く「文化不毛の地」と評されたことがあり、そのなかで当時の知事が主導して建設が進められた経緯があります。コレクションの中心は、19世紀フランスのバルビゾン派の画家たちです。
なかでも、ジャン=フランソワ・ミレーの「種をまく人」は、1977年にアメリカの競売で入手されました。高額な購入に県民や議会から異論が出たとも伝えられますが、のちに「ミレーの美術館」として国内外の愛好家に親しまれる存在になりました。ミレーの収蔵品は油彩のほか素描や版画を含めて41点にのぼり、のちに「落ち穂拾い、夏」も加わっています。
山梨出身の版画家・萩原英雄の作品を紹介する記念室もあり、郷土の作家も大切にされています。芸術の森公園には、ロダンなど近代彫刻も屋外に並んでいます。戦国の町というイメージが強い甲府ですが、静かな緑のなかで絵と向き合える場所があるのは、この市のもう一つの顔といえるでしょう。
名物・食べ物・飲み物
甲府の食を語るうえで外せないのは、郷土料理のほうとうです。幅の広い麺を、カボチャなどの野菜といっしょに味噌仕立ての汁で煮込む料理で、2007年には農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に選ばれました。生地を寝かせず塩も入れないため、汁にとろみが出るのが特徴で、とくに甲府盆地周辺ではカボチャを溶かすまで煮るのが好まれるといわれます。
もう一つの名物が甲府鳥もつ煮です。鶏の砂肝やハツ、レバー、キンカンなどを、砂糖と醤油だけで照りが出るまで煮詰める料理で、1950年ごろに市内のそば屋が、捨てられていた部位をもったいないと考えて始めたと伝わります。2010年のB-1グランプリで初出場優勝を飾り、町おこしの代表格になりました。
ほかにも、市の名物として鮑の煮貝や御岳そばが挙げられます。御岳そばは、昇仙峡のある御岳の名を冠した名物として知られています。山あいの渓谷を訪ねたあとに味わう、という楽しみ方もできそうです。
珍しい生き物・自然
甲府市は周囲を山に囲まれた盆地にあり、市域の北側は秩父多摩甲斐国立公園に含まれます。荒川上流の昇仙峡では、花崗岩が風雨と流れで削られて奇岩になった様子を間近に見られます。紅葉の見ごろの時期は、休日に周辺の道路が混み合うほどの人出になります。
相川の河床では、ナウマンゾウの臼歯の化石が見つかっています。市域に旧石器時代の遺跡は確認されていないものの、大型の動物が盆地に暮らしていたことを示す貴重な手がかりです。夏の甲府は内陸の盆地らしく暑く、2013年8月には40.7度を観測しました。一方、標高の高い北部の山間は冷涼で、同じ市内とは思えないほど気候が異なります。
そのほか、この町の特筆すべきこと
甲府の町は、1519年に武田信虎が躑躅ヶ崎館へ移ったことで始まりました。城下町は甲府城の築城を機に南へと移り、江戸時代には甲州街道の宿場町としても栄えました。町の骨格には、武田氏の時代と豊臣系大名の時代、二つの城下町の記憶が重なっています。
市内では、宝石の研磨や印伝、印章の手彫りが、国の伝統的工芸品として受け継がれています。宝石研磨の盛んな町であることは、山梨ジュエリーミュージアムなどの施設からもうかがえます。春の信玄公祭りも、町を代表する行事です。
1945年7月6日深夜から7日未明にかけて、甲府はB-29による大規模な空襲を受けました。「たなばた空襲」とも呼ばれ、市街地の約4分の3が焼けたとされています。犠牲者の数は、当時の調査と後年の調査で数字に幅があり、千人を超えたとする資料もあります。町の復興の歴史を知ることは、いまの町並みを見る目にも静かな深みを与えてくれます。
夜の顔:この町の怪談と心霊スポット
ここまで、甲府市の昼の顔を歩いてきました。山岳信仰の古社、信玄の山城と館、石垣の城。どの場所にも、人が祈り、争い、時に大きな犠牲を払ってきた時間が重なっています。
その厚みは、夜の顔にもつながります。山梨県には、語り継がれる怪談や心霊スポットの噂がありますが、甲府市内の特定の場所を取り上げて訪ねることは勧めません。当サイトの見方では、怪談とは土地の歴史や地形が人の心に落とした影のようなものです。武田氏の栄枯や、盆地を焼いた空襲の記憶を知るほど、静かな場所への敬意が深まります。
鴉番組では、実話怪談や心霊スポットを、行くためではなく記録するために載せています。昼の景色を知ったうえで、夜の物語も読んでみてください。
お出かけの前に
営業時間・料金・休業日・アクセスは変わりやすいため、この記事には載せていません。お出かけの前に、各施設や自治体の公式サイトで最新の情報をご確認ください。天候や災害の影響で立入が制限されている場所もあります。
よくある質問
Q. 甲府市の観光は、どの順番で回ると効率がよいですか?
A. この記事は北から順に紹介しています。昇仙峡と金櫻神社の山間エリア、積翠寺から武田神社・湯村温泉の北部エリア、甲府駅周辺の甲府城と甲斐善光寺、西部の美術館とエリアごとにまとめると回りやすくなります。距離があるため、移動手段と季節の道路状況は、各自治体や公式の観光案内で確認してください。
Q. 甲府市の名物は何ですか?
A. ほうとう、甲府鳥もつ煮、鮑の煮貝、御岳そばなどがよく知られています。提供する店ごとに内容は変わるため、出かける前に最新の情報を確認してください。
Q. 昇仙峡はいつ訪れるのがよいですか?
A. 例年、紅葉の見ごろとされる秋は特に人が多く、休日には周辺の道路が混みます。春から初夏の新緑も美しい時期です。通行規制がある日もあるため、公式の観光情報で最新の状況をご確認ください。
参考にした公式サイト・資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/甲府市
https://ja.wikipedia.org/wiki/昇仙峡
https://ja.wikipedia.org/wiki/仙娥滝
https://ja.wikipedia.org/wiki/金櫻神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/武田神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/要害山城
https://ja.wikipedia.org/wiki/信玄の湯_湯村温泉
https://ja.wikipedia.org/wiki/甲斐善光寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/甲府城
https://ja.wikipedia.org/wiki/山梨県立美術館
https://ja.wikipedia.org/wiki/甲府鳥もつ煮
https://ja.wikipedia.org/wiki/ほうとう
https://ja.wikipedia.org/wiki/甲府空襲
この周辺の心霊スポット
昼の顔とは別に、この土地には夜の顔もあります。興味があれば、記録として読んでみてください。立入に注意が必要な場所も含まれます。
