◇ 吉凶は場面しだい 同じ夢でも場面で吉にも凶にも読まれる夢。下の「こんな場面なら」で読み分けます
チャンスや返事を待ち続ける焦りの象徴。階段に切り替えるなら、自力で道を開く時期とされる。
心理学から見ると
いつまで待ってもエレベーターが来ない夢は、結果や返事、機会の訪れを待つばかりで自分では動けない焦りと読めます。表示の数字が行ったり来たりするばかりなら、期待と失望をくり返す心の揺れ。遅刻しそうな急ぎの場面なら時間への追われ感、急ぐ理由もなく待っていただけなら、何を待っているのか自分でも分からなくなっている状態とも考えられます。
言い伝えと歴史
エレベーターにまつわる伝承はありませんが、待つことの教訓は古くからあります。中国の古典『韓非子』には、切り株にぶつかった兎を一度得た農夫が、また兎が来るのを待って畑仕事をやめてしまう話があり、「株を守る」「守株」として融通のきかない待ち方のたとえになりました。夢占いでは、待つ夢は時機を見極め、待つか動くかを判断すべき時を示すと読まれます。
当サイトの考察
当サイトの見方では、待っている間に「周りに誰がいたか」を思い出します。ひとりきりの静かなホールなら、誰にも急かされず考える時間を心が求めている印。後から来た人が次々と別のエレベーターに乗っていったなら、取り残されている感覚が強まっているのかもしれません。そして、階段がすぐ横にあると知りながら待ち続けていたなら、来ないことより、自分の足で上る疲れの方をあなたは恐れているのかもしれません。
当サイトの見方:もう一歩深く
エレベーターを待つ間、呼び出しボタンを何度も押してしまう人は少なくありません。けれども多くのエレベーターは、一度呼べば到着を待つ仕組みで、何度押しても早く来るわけではないといわれます。当サイトの見方では、エレベーターが来ない夢は、チャンスを待つ焦りだけでなく、「待つ以外にできることがない」という無力感に耐えきれず、意味のない行動を重ねてしまう心の状態を映すことがあります。返事を待つ間に何度も連絡を確かめる、結果を待つ間に落ち着かず手を動かし続ける、といった日々の姿と重なるのかもしれません。夢の中の階数表示を思い出してください。ある階で止まったまま動かなかったなら、誰か特定の人や事情があなたの前進をせき止めていると感じている状態。数字が上がったり下がったりして近づかなかったなら、期待と失望を繰り返している疲れの表れです。これは推察ですが、ボタンを押すのをやめて静かに待てたなら、焦りを手放す準備が整ってきていると当サイトは考えます。
目覚めた朝にできること
今日は、返事や結果を待っている件について、自分から動ける小さな一手を一つだけ探してみてください。確認の連絡一本でも十分です。
こんな場面なら
- ◎吉 明るい・広い・きれい……心に余裕がある、よい方向へ進んでいる
- ▲注意 暗い・狭い・荒れている……閉じ込められた気持ちや、疲れの表れ
- 出られない・迷う……進む道に迷っている。焦らず立ち止まる時期
- 夢の中で気持ちがよかった……同じ夢でも吉の読みが強まる
- ▲注意 夢の中で怖かった・苦しかった……注意のサインの読みが強まる。まずは休息を
- 何度も同じ夢を見る……心がまだ答えを出していない問題があるサイン
夢違え(ゆめちがえ):気になる夢を良い方へ変える
気になる夢を見た朝、昔の人は獏(ばく)の札を枕の下に敷く、庭の南天に夢を話す、夢違えの歌を唱える、といった方法で夢を良い方へ「違えて」きました。 くわしくはコラム「夢を買う、夢を違える」へ
よくある質問
Q. エレベーターが来ない夢は吉夢ですか?凶夢ですか?
A. 同じ夢でも場面で吉にも凶にも読まれる夢。下の「こんな場面なら」で読み分けます。チャンスや返事を待ち続ける焦りの象徴。階段に切り替えるなら、自力で道を開く時期とされる。
Q. エレベーターが来ない夢を何度も見るのはなぜですか?
A. くり返し見る夢は、心がまだ答えを出していない問題のサインとされます。研究でも、悩みが解決すると同じ夢は見なくなりやすいことが知られています。夢日記をつけると、何がきっかけになっているかが見えてきます。
Q. エレベーターが来ない夢を見た朝は何をすればいいですか?
A. 今日は、返事や結果を待っている件について、自分から動ける小さな一手を一つだけ探してみてください。確認の連絡一本でも十分です。
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※ 夢占いは心理学・民間伝承にもとづく娯楽としての解釈であり、科学的に証明されたものではありません。「当サイトの考察」は当サイト独自の推察です。