悪い夢で目覚めた朝、「夢は逆夢だから」と自分に言い聞かせたことはないでしょうか。夢がそのまま現実になる「正夢」と、夢とは反対のことが起きる「逆夢」。日本人は昔から、この二つの言葉を使い分けて夢と付き合ってきました。このコラムでは、逆夢という考え方の由来と、凶夢を吉と読み替える心の働き、そして正夢と呼ばれる体験を心理学がどう説明するのかをたどり、当サイトなりの見方を添えます。
正夢と逆夢、ふたつの言葉
正夢(まさゆめ)は、夢で見たことが後になって現実に起きる夢。逆夢(さかゆめ)は、夢とは反対のことが現実に起きる夢を指します。どちらも辞書に載っている古い言葉で、日本語では一対のものとして扱われてきました。興味深いのは、同じ一つの夢が、見た時点ではどちらなのか決まらないことです。正夢か逆夢かは、あとで現実と照らし合わせて初めて名前がつく。この二つは、夢の種類というより、夢の「読み方」の名前だといえます。
「正夢」という字そのものは、さらに古く中国の古典にも見えます。儒教の古典『周礼(しゅらい)』には、夢を占う役人と、夢を六つに分ける考え方が記されており、その一つが「正夢」です。ただし注釈ではこれを、心が何かに動かされることなく穏やかに見る夢と説明しており、「現実になる夢」という今の意味とは少し違います。言葉が海を渡り、長い時間を経るうちに、夢と現実が一致するかどうかという、より切実な問いの言葉に変わっていったのでしょう。
「夢は逆夢」― 凶を吉に読み替える知恵
悪い夢を見た人に向かって「夢は逆夢というから大丈夫」と声をかける。この言い回しは今も広く使われています。身内が亡くなる夢を見たら、かえって長生きのしるし。財布をなくす夢なら、お金が入る前ぶれ。夢占いの本でも、死や別れの夢を「再生」や「新しい始まり」と読む解釈はよく見かけます。凶に見えるものほど吉に裏返す。この読み方は、占いの理屈というより、不安を抱えた人をなぐさめるための言葉として育ってきた面が大きいと考えられます。
逆に読むという発想は日本だけのものではありません。英語にも「夢は逆さまに行く(dreams go by contraries)」という言い回しがあります。十九世紀にアイルランドの民間信仰を集めたワイルド夫人(作家オスカー・ワイルドの母)の記録には、白い羽飾りの霊柩車の夢は婚礼のしるしで、婚礼の夢はかえって悲しみのしるし、という俗信が書き留められています。同じ記録には、夢は空腹のまま人に話してはいけない、という戒めも並んでいます。遠く離れた土地で、人々が同じように夢を裏返し、語り方にまで気を配っていたことは、この読み方が人の心に根ざしたものであることを示しているようです。
夢は売り買いされ、言い換えられた
昔の日本では、夢は見た人だけのものではありませんでした。夢の吉凶を読み解く「夢解き」を仕事にする人がいて、夢の内容とその解き方を合わせる「夢合わせ」が行われていました。そこでは、夢そのものより「どう解かれたか」が運命を決めると考えられていたふしがあります。『宇治拾遺物語』の吉備真備や、北条政子のように、他人の吉夢を手に入れて運を開いたという夢買いの説話も伝わっていますが、その詳しい話は別のコラム「夢買い」に譲り、ここでは、解き方ひとつで吉夢がしぼんでしまったという逆向きの話を見てみます。
平安時代の歴史物語『大鏡』には、藤原師輔(もろすけ)の夢の話があります。若いころの師輔は、朱雀門の前で左右の足を東西に大きく踏み開き、北を向いて内裏を抱きかかえるように立つ夢を見ました。天下を抱く、たいへんな吉夢です。ところがその話を聞いた女房が「さぞお股が痛かったでしょう」と軽く口をはさんだ。物語は、この一言で夢が「悪く合わされて」しまい、子孫は栄えたものの、師輔自身は摂政・関白にはなれなかったのだと語ります。研究者の中には、実際の経歴に後から理由をつけた語りだと見る人もいますが、夢はいったん口にされた言葉に引きずられる、という当時の感覚がよく表れています。
悪い夢を良いものに変える方法も伝わってきました。夢違えを願う祈りは法隆寺の「夢違観音」のように仏像の名にまで残り、悪い夢を食べてくれるという獏(ばく)の絵や、宝船の絵を枕の下に敷く習わしも広く知られています。悪夢を見たあとには、夢違えのまじないの歌を唱えるという作法もありました。師輔の話が示すように、夢は語られた言葉によって行き先が変わると考えられていたからこそ、人々は悪い夢に対しても、言葉やしるしで「向きを変える」手立てを用意したのでしょう。逆夢という言葉は、こうした夢違えの文化の、いちばん手軽な形だったのかもしれません。
心理学は「正夢」をどう説明するか
一方で、「本当に夢が当たった」という体験を持つ人も少なくありません。心理学では、こうした体験の多くを記憶の偏りで説明します。人は一晩に何度も夢を見ますが、目覚めたときに覚えているのはごく一部で、その大半も昼までに忘れてしまいます。ところが、あとで現実に似た出来事が起きると、忘れかけていた夢が急に思い出され、「あの夢は正夢だった」と強く印象に残る。当たらなかった無数の夢は、そもそも思い出されることがありません。これが選択的記憶と呼ばれる働きです。
これに、自分の思い込みに合う情報ばかりを拾ってしまう「確証バイアス」が重なります。夢の中身はもともとあいまいで、筋もつながっていないことが多いものです。現実の出来事を知ったあとで夢を思い出すと、人は知らず知らずのうちに、合う部分を強調し、合わない部分を切り落として記憶を組み立て直してしまいます。夢の記憶は録画ではなく、思い出すたびに作り直される物語に近いのです。
統計学者のパーシ・ダイアコニスとフレデリック・モステラーは、偶然の一致を論じる中で「非常に大きな数の法則」と呼ばれる考え方を示しました。十分に多くの機会があれば、どんなにまれな一致もどこかで必ず起きる、というものです。何百万人もの人が毎晩いくつもの夢を見ていれば、そのうちいくつかが翌日の出来事とぴたりと重なるのは、むしろ当然だといえます。当たった本人にとっては一生に一度の不思議でも、全体として見れば起こるべくして起きた一致なのです。
不安は夢を作り、夢は明日を変える
夢は、起きている間の関心や感情の続きだとする「連続性仮説」という考え方もあります。試験に落ちる夢、人間関係がこじれる夢、体の不調の夢。こうした夢は、本人がすでにうすうす気づいている心配ごとを映していることが多いものです。心配の種が現実にあるのだから、それが実際に起きる確率も決して低くはありません。夢が未来を見通したというより、心がすでに感じ取っていた兆しを、夢が先回りして形にしたと考えるほうが自然でしょう。
フィンランドの心理学者アンティ・レヴォンスオが唱えた「脅威シミュレーション説」では、夢、とくに怖い夢は、危険な場面を前もって練習するための仕組みだと考えます。追われる、落ちる、失う。こうした夢を見ることで、心は現実の危険に備えているというわけです。この見方に立てば、悪い夢がときに現実と重なるのは不思議ではありません。夢はもともと、起こりうる悪いことを先に思い描くために見るものなのですから。
さらに、夢が行動を変え、その行動が結果を変えることもあります。社会学者ロバート・マートンが名づけた「自己成就的予言」は、ある予測を信じることで人の振る舞いが変わり、結果として予測どおりになってしまう現象です。悪い夢を気にして緊張し、失敗しやすくなる。逆に吉夢に励まされて一歩を踏み出し、うまくいく。どちらの場合も、夢は予言ではなく、背中を押したり足を止めたりする力として働いていたのかもしれません。
当サイトの考察 ― 逆夢は「夢に言い返す」ための言葉
当サイトの見方では、逆夢という言葉は、夢を当てるための理屈ではなく、夢に「言い返す」ための言葉として生まれたのではないかと考えています。医療も乏しく、病や飢えや災いが身近にあった時代、悪い夢は本物の恐怖でした。家族が死ぬ夢を見た朝、その不安を黙って抱え続けるのはあまりにつらい。そこで人は、夢が告げたことをそのまま受け取らず、「いや、これは逆だ」と声に出して打ち消す道を作った。逆夢とは、夢の告げる運命に対して、人間の側が差し出したささやかな反論だったのではないでしょうか。
そう考えると、夢合わせや夢違えの話も同じ根から伸びているように見えます。師輔の吉夢は女房の軽口ひとつでしぼみ、人々は仏に夢違えを祈り、獏に夢を食べてもらおうとしました。どれも、夢を変えられないお告げとしてではなく、言葉や祈りで動かせるものとして扱っています。これは推察にすぎませんが、日本の人々にとって夢とは、見た瞬間に意味が決まるものではなく、「どう語るか」によって行き先が変わる、やわらかな未来の下書きだったのかもしれません。だからこそ、悪い夢には誰よりも先に「逆夢だ」と自分で言っておく必要があったのでしょう。
裏を返せば、正夢という言葉には、少し別の怖さがひそんでいます。正夢と言えるのは、何かが起きてしまった後だけです。悲しい出来事のあとで「あの夢は正夢だった」と思い出すとき、人はそこに、防げなかったことへの悔いや、知らせを受け取りながら何もできなかったという思いを重ねてしまうことがあります。当サイトは、正夢の不思議さそのものより、その裏にある「もっと何かできたのでは」という痛みのほうに、人が夢を語り継いできた本当の理由があると考えます。逆夢は未来をなぐさめ、正夢は過去を悼む。二つの言葉は、そうやって人の心の両側を支えてきたのではないでしょうか。
今夜からできる、夢との付き合い方
正夢が本当にあるのかを自分で確かめたいなら、夢日記がいちばん確かな方法です。枕元にノートを置き、目覚めてすぐ、覚えている場面と気持ちを日付とともに書き留めます。大切なのは、出来事が起きる「前」に書いておくこと。あとで読み返すと、当たったように思える夢がどれだけあり、外れた夢がどれほど多いかが見えてきます。それは夢の不思議を壊す作業ではなく、自分の心が何を気にかけていたのかを知るための手がかりにもなります。
悪い夢で目覚めた朝は、昔の人にならって、小さな夢違えをしてみるのも一つの方法です。「夢は逆夢」と声に出して言う、窓を開けて朝の光を浴びる、夢の内容を紙に書いて破る。気休めに見えても、不安を言葉にして外に出すことは、それだけで心を軽くする働きがあります。そのうえで、夢が映していた心配ごとがあるなら、今日できる小さな備えを一つだけしてみてください。体の不調を映したような夢が続き、気になる症状もあるときは、夢のせいにせず医療機関で相談することをおすすめします。
もう一つ、怖い夢を一人で抱え込まないことも大切です。昔の人が夢解きに夢を語ったように、信頼できる人に「こんな夢を見た」と話すだけで、夢はただの物語の一つに戻っていきます。話してみて相手が笑ってくれたなら、それはもう立派な逆夢の始まりです。そして今夜、眠る前には、明日の小さな楽しみを一つ思い浮かべてから目を閉じてみてください。夢は、眠る直前の心を映しやすいものです。
このコラムに関わる夢
よくある質問
Q. 正夢と逆夢の違いは何ですか?
A. 正夢は夢で見たことがそのまま現実になる夢、逆夢は夢とは反対のことが起きる夢です。ただし、どちらなのかは夢を見た時点では分からず、後で現実と照らし合わせて初めて決まります。二つは夢の種類というより、夢の読み方の名前だといえます。
Q. 悪い夢を見たら本当に逆夢になりますか?
A. 悪い夢が必ず逆になるという根拠はありません。「夢は逆夢」は、不安な人をなぐさめるために育ってきた言い回しと考えられます。悪い夢は心配ごとを映していることが多いので、怖がるより、何が気になっているのかを見つめる手がかりにするのがおすすめです。
Q. 正夢を見る人には予知能力があるのですか?
A. 心理学では、正夢の体験の多くを、当たった夢だけを覚えている選択的記憶や、合う部分だけを拾う確証バイアス、たくさんの夢の中で偶然の一致が起きる確率などで説明します。予知能力が科学的に確かめられたわけではありません。
ほかの夢の読み物
- 夢を買う、夢を違える 夢買い・夢違えの日本史
- 夢枕に立つ ― 亡き人は夢に何をしに来るのか
- 初夢と宝船 ― 一年の運を夢に託した人々
- 夢は神仏からの手紙だった ― 古典に見る夢告げ・参籠・夢殿
- 金縛りと明晰夢――眠りの境目で起きること
- 世界の夢信仰 ― 夢は魂の旅か、神の声か
- 悪夢の科学 ― 人はなぜ怖い夢を見るのか
ほかの分類の夢の読み方
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- 日本の妖怪
- 都市伝説・ネット怪談
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※ 夢占いは心理学・民間伝承にもとづく娯楽としての解釈であり、科学的に証明されたものではありません。「当サイトの見方」は当サイト独自の推察です。悪夢や不眠が続くときは医療機関にご相談ください。