美深町の観光スポット|日本最北の高層湿原と、未完に終わった美幸線の終着駅をたどる
目次
この町の観光スポット(北から順)
番号は記事の紹介順(北から順)と同じです。ピンを押すと名前が出ます。位置はおおよそのものです。
- 恩根内駅の跡 1911年に開設された宗谷本線の駅の跡。住民の運動で一度は守られたが、2024年に廃止された。
- 森林公園びふかアイランド 天塩川のほとりにある町の森林公園で、町の観光スポットの一つとして挙げられている。
- 仁宇布駅の跡 美幸線の終着駅だった場所。枝幸までの線路は、完成目前で凍結され、未成に終わった。
- 松山湿原 標高797メートルにある、日本最北とされる高層湿原。1975年に自然環境保全地域に指定された。
- 美深駅 1911年に開設された宗谷本線の駅。かつて美幸線が分かれていた、町の中心にある駅。
この町の基本情報(所在地・最終確認日・ご注意)を見る
- 所在地
- 北海道中川郡美深町
- 最終確認
- 2026.10.06
- ご注意
- 営業時間・料金・休業日は変わりやすいため載せていません。お出かけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。
美深町ってどんな町?
美深町は、北海道の上川地方の北部にある町です。町を南北に天塩川が流れ、国道40号と宗谷本線が並んで走っています。西には天塩山地、東には北見山地がそびえ、町の面積のほとんどを森林が占める、特別豪雪地帯でもあります。
「美深」という地名は、もとは天塩川の石の多い川原を指したアイヌ語の「ピウカ」に由来するとされています。意味は「石の多い場所」で、かつて現在の美深駅のあたりにあった砂利の川原の呼び名が、そのまま町の名前になりました。最初の駅名は「ぴうか」と読まれていましたが、村の名前が美深村に改まったのちの1951年に、今の「びふか」へ読みが改められています。
町は、国の「水の郷百選」にも認定されています。川と森に囲まれた暮らしのなかで、鉄道を夢見た人々の歴史もありました。この記事では、見どころを緯度の大きい順、つまり北から順にたどります。町の北の端から、南の山へ向かって、時間をさかのぼるように歩いていきます。
1. 恩根内駅の跡
恩根内駅は、かつて宗谷本線にあった駅で、美深町の北部にありました。1911年11月3日に、名寄駅から延びてきた鉄道の終点として開設され、翌1912年には音威子府方面へ延びていきました。以前は職員が置かれていましたが、1986年に無人駅になりました。
駅は、利用が少ないことを理由に、2021年3月での廃止が一度は計画されました。ところが、地元の住民が運動を起こし、美深町が維持の費用を負担することで、しばらく存続していたと紹介されています。それでも2024年3月のダイヤ改正で、ついに廃止されました。
無人化されたあとは、使われなくなった貨車を駅舎に転用する、貨車駅舎の時代もありました。1993年に、現在の待合室が建てられました。駅の跡や周りは農地で、地域の方々の暮らしの場です。立入が制限されている場所には近づかず、周囲に配慮してください。
2. 森林公園びふかアイランド
びふかアイランドは、美深町の天塩川のほとりにある森林公園です。町の観光スポットのひとつとして、道の駅や温泉の施設などと並んで紹介されています。町の人々が川と森に親しむための場所です。
町を南北に流れる天塩川は、松浦武四郎が1857年に探検した川でもあります。武四郎は、この川をさかのぼって上川郡や中川郡を歩き、その記録を『天塩日誌』に残しました。川沿いの公園は、開拓時代の人々が頼った川の記憶を、静かに伝える場所といえるでしょう。
なお、この項目の位置は、地名から推定したおおよその地点です。公園の設備や利用できる時期については、確認できていません。訪れる前に、町の公式の案内でご確認ください。川の近くでは、水位の変化や、ヒグマの出没にも注意してください。
3. 仁宇布駅の跡
仁宇布駅は、国鉄の美幸線にあった終着駅です。美幸線は、宗谷本線の美深駅から仁宇布駅まで、21.2キロを結んだ路線で、線名は、起点の「美」深と、予定していた終点の北見枝「幸」から付けられました。仁宇布駅は、1964年10月5日に開業しています。
鉄道は、仁宇布から山を越えて、オホーツク海に面した北見枝幸へ延びる計画でした。1931年に、美深の町長らが仁宇布から山越えして枝幸まで踏査したのが、構想の始まりです。路盤やトンネル、橋は完成したものの、1980年の国鉄再建法の施行で、工事は凍結され、未成のままで終わりました。
美幸線は、全国の国鉄路線のなかで、とくに営業成績の悪い路線として知られ、1985年9月17日に廃止されました。この項目の位置は、地区のおおよその地点です。当サイトの見方では、海まで届かなかった線路は、北の端の人々が抱いた夢の大きさを物語っているのだと思います。跡地は私有地や危険な場所もあるため、立入には配慮してください。
4. 松山湿原
松山湿原は、美深町の山の中にある湿原です。標高は797メートル、広さは約25ヘクタールで、日本最北の高層湿原とされています。1975年に、北海道の自然環境保全地域に指定されました。南にあるピヤシリ湿原とともに、日本の重要な湿地にも選ばれていると紹介されています。
湿原には、高山にみられる植物が群落をつくり、背の低いアカエゾマツやハイマツも見られます。全部で199種の植物が確認され、トンボ類も豊富です。湿原のなかには、えぞ松沼、はい松沼、つつじ沼の三つの沼があります。入口に近い登山道の周辺には、滝や天竜沼も点在しているそうです。
入山できるのは、6月中旬ごろから10月中旬ごろとされます。松山湿原の周辺は、観光客向けに大きく開発されておらず、秘境と呼ばれることもあります。湿原は、傷つきやすい自然です。木道や決められた道から外れず、ヒグマへの備えと、天候の急変への備えを忘れないでください。
5. 美深駅
美深駅は、JR宗谷本線の駅で、美深町の中心部にあります。特急列車を含む全列車が停車します。1911年11月3日に、名寄駅から恩根内駅までの鉄道が開通した際に、開設されました。当初は「ぴうか」という読みで、1951年に、現在の「びふか」に改められています。
1964年10月5日には、この駅から国鉄の美幸線が分かれて開業しました。かつては、森林で伐り出した木材を運ぶ美深森林鉄道もあり、1942年から1956年まで運行されていました。これは推察ですが、駅の周りは、木材の積み出しで活気があったのでしょう。
駅には、鐘が置かれていると紹介されています。町の人々が、美幸線とともに願った夢の名残かもしれません。駅は町の方々の暮らしの場でもあります。撮影や見学の際は、周囲への配慮をお願いし、ダイヤは事前にご確認ください。
名物・食べ物・飲み物
美深町の産業は、農業と林業です。町の面積のほとんどを森林が占めています。町内には、温泉や道の駅もあり、地元の産品が扱われていると紹介されています。
町の特産としてよく知られるのが、チョウザメです。農業、酪農、林業に加えて、この北の町ではチョウザメが育てられており、町内にはチョウザメを紹介するミニ水族館があります。これは推察だが、冷たく清らかな水に恵まれた土地柄が、この魚の養殖に向いていたのでしょう。
チョウザメを紹介するミニ水族館もあります。販売や食事の内容は時期によって変わるため、事前にご確認ください。
珍しい生き物・自然
町は、西の天塩山地と東の北見山地に挟まれています。町を南北に天塩川が流れ、冬は特別豪雪地帯にもなる、雪の深い土地です。
松山湿原のほか、近くには滝もあります。山や湿原では、ヒグマへの備えと、天候の変化への注意を忘れないでください。
美深町の気候は、冷帯の湿潤な気候に属します。年平均気温は5.8度で、1年のうち真冬日が85日ほど、冬日は170日あまりに及びます。降雪量も多く、年平均で約888センチです。2014年の1月と2月には、氷点下30度を下回る日も記録されました。そんな厳しい冬の土地だからこそ、春になって雪が解けるころの天塩川の水の勢いや、湿原の短い夏の花が、いっそう強い印象を残します。
町の山々には、アイヌ語に由来する名前が多く残ります。たとえば入布山(標高954メートル)は、「ニウプ」、つまり「森林、または木のある川」という意味の言葉が語源とされ、仁宇布の地名の由来でもあります。山名の由来をたどると、この土地の人々が、森と川をどう見ていたのかが伝わってきます。町内の最高峰は函岳で、標高は1,124メートルです。入布山や沼岳など、登山道のない山も多く、手つかずの自然が残っています。
そのほか、この町の特筆すべきこと
年表をたどると、美深町は縄文時代から人が暮らした土地です。幕末の1857年には、探検家の松浦武四郎が天塩川をさかのぼって上川や中川の地を歩きました。1911年に鉄道が恩根内駅まで延び、1915年に下名寄村が発足します。村名が美深村に改まったのは1920年で、1923年に町になりました。昭和に入ると、1964年に美幸線が開業し、1965年にはスキー場も開かれ、2010年代には名寄から美深を結ぶ道路も開通して、町の姿は少しずつ変わっていきました。
1920年に智恵文村を分け、下名寄村から美深村に改称しました。1923年に町制が敷かれています。この年の国勢調査では、美深村は2,045戸、10,991人と記録されています。
1964年に開業した美幸線は、1985年に廃止されました。廃線になった線路は、その後、トロッコで走る体験の場としても活用されたと紹介されています。町には、天塩川の名前の由来の地や、いくつかの遺跡も文化財として伝わります。
町は、文化財として「天塩川名由来の地」や、富岡遺跡、モンポナイ遺跡、楠遺跡などを伝えています。縄文時代からの人の営みが、天塩川の流域に連なっていたことを示す遺跡です。また、美深駅には「美幸の鐘」が置かれ、実現しなかった美幸線の夢を静かに伝えています。町内には、北海道三十三観音霊場の28番札所にあたる弘法寺もあります。現役の寺院ですので、訪れる際は信仰の場としての静けさを大切にしてください。
映画や舞台で知られる俳優の千秋実は、かつての恩根内村の出身とされます。駅の跡が静かな農地に溶けこんでいる恩根内の地から、遠く東京の舞台で活躍した人がいたことを思うと、北の小さな集落の景色が、少し違って見えてきます。
夜の顔:この町の怪談と心霊スポット
ここまで、美深町の昼の顔を歩いてきました。住民の運動で守られた駅、海まで届かなかった鉄道、日本最北の湿原。どれも、北の端の人々の、遠くを見る眼差しを感じさせる場所でした。
この町には、広く知られた心霊スポットとして確認できる場所はありません。当サイトの見方では、人気の絶えた廃線や廃駅に漂う気配は、噂話ではなく、実現しなかった夢と、そこで暮らした人々の記憶に根ざしているのだと思います。
鴉番組では、実話怪談や心霊スポットを、行くためではなく記録するために載せています。昼の景色を知ったうえで、夜の物語も読んでみてください。
お出かけの前に
営業時間・料金・休業日・アクセスは変わりやすいため、この記事には載せていません。お出かけの前に、各施設や自治体の公式サイトで最新の情報をご確認ください。天候や災害の影響で立入が制限されている場所もあります。
よくある質問
Q. 美深町の名前は、どう読みますか?
A. 「びふかちょう」と読みます。上川地方の北部にあり、町を天塩川が南北に流れています。
Q. 美幸線は、なぜ廃止されたのですか?
A. 利用者が非常に少なく、営業成績が極めて悪かったためです。枝幸までの延伸工事は1980年に凍結され、1985年9月17日に廃止されました。
Q. 松山湿原は、いつ訪れることができますか?
A. 入山期間は、6月中旬ごろから10月中旬ごろとされています。年によって変わるため、最新の情報を確認してください。
Q. 美深という地名の由来は何ですか?
A. アイヌ語で「石の多い場所」を意味する「ピウカ」に由来するとされます。かつて現在の美深駅付近にあった、天塩川の砂利の川原の呼び名です。
参考にした公式サイト・資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/美深町
https://ja.wikipedia.org/wiki/美深駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/恩根内駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/仁宇布駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/美幸線
https://ja.wikipedia.org/wiki/松山湿原
https://www.town.bifuka.hokkaido.jp/