鴉番組 KARASU CHANNEL
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HOMESIGHTSEEING水戸市の観光スポット|梅と藩校、城と湖に徳川の遺した時間をたどる

水戸市の観光スポット|梅と藩校、城と湖に徳川の遺した時間をたどる

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

目次

この町の観光スポット(北から順)

番号は記事の紹介順(北から順)と同じです。ピンを押すと名前が出ます。位置はおおよそのものです。

  1. 茨城県立歴史館 偕楽園の北隣にある県立の歴史博物館・文書館。明治の擬洋風校舎と、重要文化財の一橋徳川家資料が保管される。
  2. 弘道館 徳川斉昭が1841年に開いた水戸藩の藩校。国の特別史跡で、正庁・至善堂・正門は重要文化財。正門に弾痕が残る。
  3. 常磐神社 偕楽園の敷地に隣り合う神社。水戸藩の徳川光圀と徳川斉昭を祀る。明治初めに藩士たちが創建した。
  4. 偕楽園 徳川斉昭が民と楽しむために開いた日本三名園のひとつ。約100種3000本の梅と、好文亭、陰陽をたどる庭の設計が見どころ。
  5. 水戸城跡 水戸徳川家の居城だった連郭式の平山城の跡。薬医門、復元された大手門と二の丸角櫓が、天守のない城の質素な姿を伝える。
  6. 千波湖 偕楽園の崖下に広がるひょうたん形の湖。水戸の象徴で、冬は水鳥が集まり、周辺の湧水には絶滅危惧種の魚が暮らす。
  7. 大串貝塚 縄文前期の貝塚で国の史跡。古い風土記に巨人伝説の舞台として登場し、縄文の貝塚が古文献に記された最古の例とされる。
MAP DATA © OPENSTREETMAP CONTRIBUTORS
この町の基本情報(所在地・最終確認日・ご注意)を見る
所在地
茨城県水戸市
最終確認
2026.10.05
ご注意
営業時間・料金・休業日は変わりやすいため載せていません。お出かけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。

水戸市ってどんな町?

水戸市は、茨城県の県庁所在地で、御三家のひとつ水戸徳川家ゆかりの城下町です。徳川光圀(水戸黄門)や偕楽園の名で広く知られ、2月の梅まつり、8月の黄門まつり、9月の萩まつりと、季節ごとの催しも続いています。市の名は、那珂川の舟運で栄えた河港が、水運の戸口とされたことに由来します。1889年に市制を施行し、日本で最初に市となった31市のひとつです。

この記事では、観光スポットを緯度の大きい順、つまり北から順に紹介します。偕楽園のそばの歴史館から始まり、梅と神社、藩校、城跡、湖と進み、最後に市の東南にある縄文の貝塚へと南下していく道筋です。市域の大部分は台地で、那珂川の周りだけが低地になっています。華やかな名所の裏にある、人々の思いと歴史にも目を向けてみてください。

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1. 茨城県立歴史館

茨城県立歴史館は、偕楽園の北隣にある県立の歴史博物館で、古文書を保管する文書館の機能も兼ねています。1974年に開館し、旧県立水戸農業高等学校の敷地に建てられました。当時の本館は、いまも敷地内に保存されています。

敷地には、水海道小学校から移された旧水海道小学校本館があります。1881年(明治14年)に豪商たちの寄付でつくられた木造二階建ての擬洋風建築で、塔屋をそなえ、茨城県の有形文化財に指定されています。館内には、明治から昭和戦前期の教育資料や、1865年製という日本最古級のグランドピアノが展示されています。

所蔵品には、国の重要文化財に指定された一橋徳川家の資料があり、文書や記録、書画、器物など数千点に及びます。同じく重要文化財の三昧塚古墳出土品には、他に類を見ない金銅馬形飾付透彫冠が含まれます。2011年の東日本大震災では、震度6弱の揺れで文書や資料が散乱し、旧水海道小学校本館の内壁も崩れましたが、館は同年4月に、校舎も7月に公開を再開しました。梅の季節の賑わいから少し離れた、静かな場所です。

2. 弘道館

弘道館は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が、1841年に水戸城の三の丸に完成させた藩校です。敷地は約10万5千平方メートルあり、藩校としては全国最大の規模でした。旧弘道館は国の特別史跡で、正庁、至善堂、正門は重要文化財に指定されています。偕楽園が心身を休める場だったのに対し、弘道館は学ぶための場として、対になって作られました。

ここでは、儒学や国学のほか、武術、医学、天文学なども学べたと伝わります。卒業という考え方を設けず、学問は一生続けるものだとして、若者も老人も同じ場で学んだとされます。建学の精神を記した『弘道館記』は、藤田東湖が草案を書き、斉昭が自ら筆をとって石碑に刻まれました。

幕末には、藩内が改革派の天狗党と保守派の諸生党に分かれて争い、弘道館も戦場になりました。1868年には諸生党が弘道館に立てこもり、天狗党などと戦闘になって、多くの建物が焼けています。正門の柱には、そのとき城の側から撃たれたとみられる弾痕が、いまも残っています。敷地には、約60品種800本の梅も植えられ、偕楽園とは違う静かな梅の名所になっています。2011年の震災で崩れた『弘道館記』の碑は、2013年に修復されました。

3. 常磐神社

常磐神社は、水戸藩の第2代藩主・徳川光圀(義公)と、第9代藩主・徳川斉昭(烈公)を祀る神社です。明治の初め、二人の徳を慕った旧藩士たちが、偕楽園の中に祠堂を建てたのが始まりで、1873年に社号と祭神の神号が定められ、翌1874年に現在地に社殿が造られました。1882年には、別格官幣社に列せられています。

境内には、『弘道館記』の草案を書いた藤田東湖を祀る東湖神社や、光圀の育ての親にあたる三木之次らを祀る三木神社があります。神事の国旗制定祈念祭は、斉昭が日の丸を日本の国旗と定めたことにちなむものです。義烈館や能舞台などの施設も境内にあります。

この神社の面白いところは、江戸時代の藩主を神として祀る、藩祖を敬う信仰が、幕末から明治にかけて各地で広がった流れのなかで生まれたことです。当サイトの見方では、梅の名所として華やかに語られる偕楽園の隣に、藩士たちが主君を偲んで建てた祈りの場があることが、水戸という町の気質を静かに物語っています。現役の神社ですので、参拝は静かに、信仰の場への配慮をお願いします。

4. 偕楽園

偕楽園は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が、1842年に開いた庭園で、岡山の後楽園、金沢の兼六園と並ぶ日本三名園のひとつです。国の史跡・名勝に「常磐公園」の名で指定されています。「偕楽」の名は、古い中国の書物にある、人々と共に楽しむという考えから取られました。斉昭は、藩校の弘道館で学ぶ藩士の休養の場であり、領民とも楽しむ場としてこの園を構想し、毎月三と八のつく日には領民にも開放されたと伝わります。

園内の本園には、約100種3000本の梅が植えられていて、早春には観梅の人々で賑わいます。梅林に面した好文亭は、斉昭自身が設計した建物で、物を三階へ運ぶための木製の滑車を使った昇降機がそなえられています。この建物は1945年の水戸空襲で焼け、1958年に復元されましたが、1969年にも落雷で奥御殿が焼け、1972年に復元されました。

園には、陰と陽の世界を歩く仕掛けがあるともいわれます。表門から入ると、杉や竹の暗い林を進み、やがて千波湖を見渡す明るい梅林へ抜けます。これは推察だが、斉昭が民と楽しむ場を作ろうとしたときに、暗から明へ歩く体験を庭の設計に込めたのかもしれません。孟宗竹は斉昭が弓の材料として京都から運ばせたもので、左近の桜や吐玉泉、推定樹齢800年の太郎杉も園内で見られます。梅まつりは例年2月中旬から3月下旬ごろで、咲き具合は年によって変わります。

5. 水戸城跡

水戸城は、江戸時代に水戸徳川家の居城だった連郭式の平山城です。起こりは平安時代の末から鎌倉時代の初めにかけて、馬場資幹が築いたものとされ、戦国時代には江戸氏、のちに佐竹氏の居城となりました。1609年に徳川頼房が入城して水戸徳川家の城となり、明治まで続きました。北を那珂川、南を千波湖に守られた城で、台地の端に本丸、二の丸、三の丸が並んでいました。

水戸徳川家は参勤交代を行わず、江戸に定住する家柄だったため、藩主が城で暮らすことは少なく、建物は質素でした。天守は建てられず、外見は三層、中は五階建ての三階櫓が、その代わりを務めました。この櫓は明治の解体を免れたものの、1945年8月2日の水戸空襲で焼失し、再建されていません。

現在、旧三の丸付近は城址として整備され、土塁と空堀が残ります。旧本丸にある高校の敷地には、水戸城で最古の建物とされる薬医門が移されています。近年は大手門が2020年に、二の丸角櫓が2021年に木造で復元され、公開されました。城跡の多くは学校の敷地で、立ち入れない場所も多いため、見学できる範囲を守ってください。当サイトの見方では、天守のない質素な城が、学問を重んじた水戸の家風をよく表しています。

6. 千波湖

千波湖は、水戸の中心市街地のすぐそばにある、周囲約3キロメートル、平均水深1メートルほどのひょうたん形の浅い湖です。湖の北西の崖の上には偕楽園があり、湖から偕楽園を仰ぐ景色、偕楽園から湖を見下ろす景色は、水戸を代表する風景になっています。

湖のもとは、5000年から3000年前に、古い那珂川の堆積物が川をせき止めてできた沼地でした。水戸藩が城下町を整える際に護岸を整え、いまの湖になりましたが、当時は現在の3倍ほどの広さがあり、水戸城の天然の外堀の役目も果たしていました。大正の末から昭和の前半にかけて東側が埋め立てられ、今の姿になりました。

秋から冬にかけては、カモやハクチョウ、ガンなどの冬鳥が飛来します。周辺の湧水の湿地には、市街地に近いにもかかわらず、絶滅危惧種のホトケドジョウが暮らし、環境省の重要湿地にも選ばれています。一方で、夏のアオコの大量発生など水質の課題もあり、那珂川の水を導く対策が進められています。斉昭が選んだ水戸八景のひとつ「僊湖暮雪」は、この湖の夕暮れの雪景色を表したものです。外周は散歩やジョギングの道になっていて、市民の日常の風景でもあります。

7. 大串貝塚

大串貝塚は、水戸市塩崎町にある縄文時代前期の貝塚で、斜面の貝層の部分が国の史跡に指定され、大串貝塚ふれあい公園として整備されています。那珂川の支流・涸沼川の北側、台地の突端に位置し、縄文の頃には、涸沼川が入り江のように広がっていたと考えられています。

出土した貝は、ヤマトシジミやハマグリ、アサリ、カキ、アワビ、サザエなどで、淡水の貝と海の貝が混じっていることから、川が入り江に流れ込む土地だったと推測されています。1985年の発掘では、石の鏃や貝の輪、釣り針などの骨や貝の道具、スズキやタイ、フグの骨、イノシシやシカの骨が見つかっています。

この貝塚は、奈良時代の『常陸国風土記』に出てくる「大櫛之岡」にあたると考えられています。風土記には、大昔に巨人がいて、岡にいながら海辺の大きなハマグリを掘って食べ、その貝殻が積もって岡になったと書かれています。縄文の貝塚が古い書物に記された例としては最古とされ、松本清張はこの伝説を題材に小説『巨人の磯』を書きました。これは推察だが、古代の人々は、自分たちより遥かに昔の人々の暮らしの跡を、巨人の食べ残しとして語り継いだのかもしれません。

名物・食べ物・飲み物

水戸の名物といえば納豆です。水戸納豆の起こりには伝承があり、源義家が後三年の役で奥州へ向かう途中、水戸の渡里の長者の屋敷に泊まり、馬の飼料の煮豆が発酵して納豆ができたと語られています。もともと農家が自家製の納豆を作って食べていた土地で、明治22年(1889年)に柵町で納豆の製造が始まり、近代的な食品工業として広がりました。小粒の大豆を使うのが特徴で、水戸駅で売られたことで、土産物としても知られるようになりました。2022年には、市議会が7月10日を「納豆の日」とする条例を定めています。

梅も水戸の味に欠かせません。徳川斉昭は、梅の花を愛でるだけでなく、実を梅干しにして戦に役立てることも考えて、梅を植えたと碑文に記しています。偕楽園では、例年6月に梅の実が頒布されます。

もうひとつの話題はラーメンです。徳川光圀が、日本で初めてラーメンと餃子を食べたと伝えられていて、千波公園では毎年秋に、ラーメンまつりも開かれるようになりました。

珍しい生き物・自然

水戸の自然の主役は、梅と水辺です。偕楽園の本園には約100種3000本の梅があり、弘道館にも約60品種800本が植えられています。千波湖には冬鳥が飛来し、周辺の湧水湿地には絶滅危惧種のホトケドジョウが暮らします。

偕楽園には、推定樹齢800年の太郎杉や、数千本に及ぶ孟宗竹の林もあります。園の南の崖には、水道の石樋に使う神崎岩を切り出した跡の洞窟が点在し、奥行きが約50メートルに及ぶものもあります。市内には、日本初の水道専用ダムとされる楮川ダムもあります。

そのほか、この町の特筆すべきこと

水戸藩は、第2代藩主の光圀が『大日本史』の編纂を始め、そこから水戸学が生まれました。幕末には、水戸学の影響を受けた人々が政治の舞台で大きな役割を果たす一方、藩内は天狗党と諸生党に分かれて激しく争いました。1864年には天狗党が筑波山で挙兵し、1868年には城下で戦闘が起きています。

弘道館と偕楽園は、文化庁が認定する日本遺産「近世日本の教育遺産」の構成文化財に含まれます。1945年8月1日から2日にかけての水戸空襲では、市街が大きな被害を受け、好文亭や三階櫓などが焼けました。復元された建物を見るときは、その歴史にも思いをはせたいところです。

市制は1889年で、日本で最初に市制を施行した31市のひとつです。県の名の「茨城」は、県庁が茨城郡水戸に置かれたことに由来します。水戸は那珂川の舟運とともに歩んできた町でもあります。

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夜の顔:この町の怪談と心霊スポット

ここまで、水戸市の昼の顔を歩いてきました。梅の庭、藩校、城、湖、そして縄文の貝塚。どの場所にも、人が学び、祈り、争い、そして大きな痛みを抱えてきた時間が重なっています。

幕末の水戸は、藩の内側で人々が二つに割れて戦った町でした。弘道館の正門に残る弾痕や、1872年に起きた本丸の隅櫓の放火事件で、犯人が捕まらなかったという記録は、そうした時代の緊張を今に伝えています。大串貝塚の巨人伝説のように、土地が語り継いできた物語もあります。

当サイトの見方では、怪談とは土地の歴史が人の心に落とした影のようなものです。鴉番組では、実話怪談や心霊スポットを、行くためではなく記録するために載せています。昼の景色を知ったうえで、夜の物語も読んでみてください。

お出かけの前に

営業時間・料金・休業日・アクセスは変わりやすいため、この記事には載せていません。お出かけの前に、各施設や自治体の公式サイトで最新の情報をご確認ください。天候や災害の影響で立入が制限されている場所もあります。

よくある質問

Q. 偕楽園の梅は、いつごろ見頃ですか?

A. 水戸の梅まつりは、例年2月中旬から下旬に始まり、3月下旬まで続きます。梅の咲き具合は年によって変わるため、出かける前に最新の開花情報を確認してください。

Q. 水戸駅から歩いて行ける観光スポットはありますか?

A. 水戸城跡は水戸駅から徒歩約8分で、弘道館も同じ三の丸にあり、歩いて行ける距離です。偕楽園や千波湖は離れているため、バスなどの移動手段を考える必要があります。路線や運行は変わるので、公式の案内で確認してください。

Q. 水戸納豆は、どんな納豆ですか?

A. 小粒の大豆を使った納豆が特徴とされ、水戸周辺で作られてきました。水戸納豆という言葉は一般名詞として使われていて、複数の事業者が同じ名前で商品を出しています。

参考にした公式サイト・資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸市
https://ja.wikipedia.org/wiki/偕楽園
https://ja.wikipedia.org/wiki/弘道館
https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸城
https://ja.wikipedia.org/wiki/常磐神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/千波湖
https://ja.wikipedia.org/wiki/大串貝塚
https://ja.wikipedia.org/wiki/茨城県立歴史館
https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸納豆
https://ibaraki-kairakuen.jp/
https://www.tour.ne.jp/j_spot/126804/

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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