鴉番組 KARASU CHANNEL
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HOMESIGHTSEEING墨田区の観光スポット|川と下町と塔が重なる隅田川の東側

墨田区の観光スポット|川と下町と塔が重なる隅田川の東側

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

目次

この町の観光スポット(北から順)

番号は記事の紹介順(北から順)と同じです。ピンを押すと名前が出ます。位置はおおよそのものです。

  1. 向島百花園 江戸の文人たちが草花を持ち寄って育てた庭。萩のトンネルと29基の句碑が、下町の風流を今に伝える。
  2. 牛嶋神社 本所の総鎮守として信仰されてきた古社。三つの鳥居を組み合わせた珍しい三ツ鳥居が目を引く。
  3. 隅田公園と墨堤の桜 隅田川の両岸に広がる都内屈指の桜の名所。江戸の将軍が植えさせた堤の桜並木が、約300年続く。
  4. 東京スカイツリー 高さ634メートルの電波塔。貨物駅の跡地に立ち上がり、地震の揺れを抑える仕組みと展望台が見どころ。
  5. 横網町公園と東京都慰霊堂 関東大震災と東京大空襲の犠牲者を悼む公園。三重塔を備えた慰霊堂が、静かな祈りの場となっている。
  6. 旧安田庭園 江戸の大名庭園を起源とし、かつて隅田川の潮の満ち引きを取り込んだ池が広がる、両国の静かな回遊式庭園。
  7. 両国国技館 大相撲の本場所が開かれる殿堂。初代は回向院の境内に建てられ、「大鉄傘」と呼ばれた大屋根を持っていた。
  8. すみだ北斎美術館 浮世絵師・葛飾北斎が生涯の大半を過ごした本所に建つ美術館。周囲の景色を映す銀色の外壁が印象的。
  9. 回向院 1657年の明暦の大火の犠牲者を弔うために開かれた寺。勧進相撲の舞台となり、動物の供養塔も多い。
MAP DATA © OPENSTREETMAP CONTRIBUTORS
この町の基本情報(所在地・最終確認日・ご注意)を見る
所在地
東京都墨田区
最終確認
2026.10.05
ご注意
営業時間・料金・休業日は変わりやすいため載せていません。お出かけ前に各施設の公式サイトでご確認ください。

墨田区ってどんな町?

墨田区は、東京23区の東部にあり、西を隅田川、東を荒川や旧中川に挟まれた細長い区です。現在の区は1947年(昭和22年)に、旧本所区と旧向島区が合併して生まれました。区の東側は海抜の低い土地が広がり、川と共に暮らしてきた下町の顔を持っています。

江戸の町が隅田川の東へ広がったのは、1657年の明暦の大火のあとだとされます。以来、武家屋敷、寺社、職人の町、そして電波塔まで、時代ごとに違う景色が同じ区内に積み重なってきました。この記事では、観光スポットを緯度の大きい順、つまり北から順に紹介します。庭と桜から始まり、塔、北斎、慰霊の地、相撲、そして古い寺へ南下していく道筋です。

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1. 向島百花園

向島百花園は、東向島の住宅街の中にひっそりと残る庭園です。開いたのは、仙台から江戸へ出てきた骨董商の佐原鞠塢で、1804年ごろ(文化元年ごろ)とされますが、開園の年には文化2年とする説もあります。開園にあたっては、大田南畝や酒井抱一、谷文晁といった当時の文人たちから、梅の木が360本あまり寄せられたと伝わります。

園内の特徴は、季節の草花を主役にした素朴なつくりです。9月下旬になると、竹で編んだ約30メートルの枠にハギを這わせた「萩のトンネル」が花の盛りを迎えます。このトンネルは、1949年に地元の有志が寄贈したものです。園内には松尾芭蕉らの句を刻んだ碑が29基あり、草花と俳句が同じ庭に収まっています。

この庭は1939年に東京市へ寄贈され、1945年の空襲で全焼しましたが、1949年に復興して再び開かれました。1978年には国の史跡および名勝に再指定されています。当サイトの見方では、焼けても作り直された庭であることが、この場所に漂う穏やかさの底にある強さのように思えます。

2. 牛嶋神社

牛嶋神社は、隅田川の東岸、隅田公園の一角に鎮座する神社です。創建については、貞観年間(859〜879年)に慈覚大師円仁がこの地を訪れ、須佐之男命の化身の老翁からお告げを受けて開いたという伝承が残ります。明治以前は「牛御前社」と呼ばれ、本所の総鎮守として人々に親しまれました。

本殿の前に立つ三ツ鳥居は、三つの鳥居を一つに組み合わせた珍しい形をしており、比較的珍しいものとされています。社には、葛飾北斎が描いた大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」が奉納されたと伝わり、北斎がこの町と深く結ばれていたことをうかがわせます。

1923年の関東大震災で被災し、1932年の墨田堤の拡張工事にともなって、現在の場所へ移されました。川沿いの桜並木のすぐそばに、古い信仰の場が静かに続いていることは、墨田区という土地の厚みを象徴しているようです。参拝するときは、現役の神社であることを念頭に、静かに歩いてください。

3. 隅田公園と墨堤の桜

隅田公園は、隅田川をはさんで台東区と墨田区にまたがる公園です。関東大震災からの復興事業として、後藤新平の主導のもとで、浜町公園、錦糸公園とともに整備されました。桜はおよそ700本を数え、日本さくら名所100選にも名を連ねています。

川沿いの桜並木のもとは、八代将軍・徳川吉宗の計らいで植えられたものとされます。ちょうど1717年ごろのことで、この年、近くの長命寺の門前で、桜の落ち葉を使った菓子が売り出されたという話も残ります。堤の桜が花見客を呼び、花見客が名物を生み、町が育っていく流れがうかがえます。

公園の墨田区側には、かつて水戸徳川家の下屋敷「小梅邸」があり、その遺構を生かした日本庭園も整備されています。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が、この邸や周辺の風景をカメラで撮影したことも知られます。1985年には桜橋が架かり、両岸の園路もつながりました。川を渡りながら見る桜は、ここならではの楽しみです。

4. 東京スカイツリー

東京スカイツリーは、押上に立つ高さ634メートルの電波塔です。着工は2008年7月14日、開業は2012年5月22日で、タワーとしては世界一の高さとされます。建っているのは、東武鉄道の業平橋駅の貨物ホームがあった跡地などで、下町の物流の拠点が、新しい時代の象徴へ姿を変えた場所です。

高さ634メートルという数字は、旧国名の「武蔵」の語呂合わせにも通じています。当初の計画は610.6メートルでしたが、2009年に634メートルを目指すと発表されました。展望台は、地上350メートルの天望デッキと、450メートルの天望回廊の二段構えです。

塔の中心には、鉄筋コンクリートの円筒がそびえ、外側の鉄骨とは構造的に切り離されて地震の揺れを抑える役目を担っています。この仕組みは「心柱制振」と呼ばれますが、五重塔の技術そのものを使ったわけではなく、現代の制振技術を応用したものと説明されています。また、この塔を使った実験で、地上より450メートルの高さでは時間が1日に450億分の1秒ほど速く進むことが確かめられました。古い下町の上に、最先端の科学の目盛りが立っているわけです。

5. 横網町公園と東京都慰霊堂

横網町公園は、もとは陸軍の被服廠があった土地で、1922年に陸軍が移転したあと、東京市が公園として整備を進めていました。その工事中の1923年9月1日に関東大震災が起き、この空き地に避難した人々を火災旋風が襲い、約3万8000人が亡くなったと伝わります。

公園内の東京都慰霊堂は、建築家の伊東忠太の設計で1930年に完成しました。三重塔を備えた納骨堂には、関東大震災の犠牲者約5万8000人の遺骨が納められました。のちに東京都慰霊堂と改称され、東京大空襲で亡くなった身元不明の方々の遺骨もあわせて祀られています。毎年9月1日と3月10日には法要が営まれます。園内の復興記念館は1931年の開館で、震災と復興の歴史、そして戦災の資料を伝えています。

ここは観光地である前に、祈りの場所です。観光で訪れるときは、静かに手を合わせる気持ちで歩き、写真を撮る際にも、他の参拝者への配慮を忘れないでください。2001年には、東京空襲の犠牲者を追悼し、平和を祈る碑も建てられました。

6. 旧安田庭園

旧安田庭園は、両国の都心の真ん中に残る回遊式の日本庭園です。もとは江戸時代の元禄年間に、本庄氏の下屋敷として築かれた大名庭園で、のちに隅田川の水を引き込んで、潮の満ち引きを楽しむ潮入りの庭として整えられたと伝わります。

明治に入って、この地は安田財閥の祖・安田善次郎の手に渡り、1879年に買い取られました。善次郎の遺志によって東京市に寄贈されましたが、翌1923年の関東大震災でほとんどの姿を失い、復元のうえ1927年に市民の庭として開かれました。1967年には墨田区に移され、1971年に全面改修を終えています。

池には小さな島が浮かび、雪見灯籠や老木が散策路を縁取ります。現在は、地下の貯水槽の水を循環させて、人工的に潮の満ち引きを再現しているのが特徴です。川から切り離されても、かつての潮入りの趣を守ろうとする工夫に、この庭を大切にする人々の思いが表れています。

7. 両国国技館

両国国技館は、日本相撲協会が所有する大相撲の興行施設です。現在の建物は2代目で、1985年1月場所から使われており、旧両国貨物駅の跡地に建てられました。建設費はすべて協会の自己資金だったといいます。

初代の国技館は、1909年に回向院の境内に建てられました。設計は東京駅などで知られる辰野金吾で、鉄骨の大きな円屋根が巨大な傘のように見えたことから、「大鉄傘」と呼ばれました。「国技館」の名は、開館式のために書かれた披露文にあった「角力は日本の国技なり」という一文をきっかけに、開館式の直前に決まったとされます。

初代は火災や震災で何度も焼け、第二次世界大戦中の1944年には陸軍に接収されて風船爆弾の工場となり、1945年3月10日の東京大空襲でも焼失しました。相撲の殿堂が、時代の荒波に何度も傷つきながら、そのたびに相撲を続けてきた歴史は、この町の粘り強さを物語っています。

8. すみだ北斎美術館

すみだ北斎美術館は、2016年11月22日に開館した、葛飾北斎の作品を専門に扱う美術館です。北斎は、現在の墨田区にあたる本所の界隈で生まれ、生涯のほとんどをこの町で過ごしたと伝えられています。美術館が建つ亀沢は、その縁が深い土地です。

設計は妹島和世の建築設計事務所によるもので、外壁にはアルミのパネルが使われ、周りの景色が映り込んで街に溶け込むように見えます。低い土地に建つため、貴重な収蔵品を守る収蔵庫を2階以上に置くという、水害を見据えた工夫もされています。建築の発想が、この区の地形と結びついています。

所蔵品には、ピーター・モース氏のコレクション約600点などがあり、『神奈川沖浪裏』などの名作も収められています。北斎が生涯を通じて描き続けた町が、今は彼の作品を迎える場所になっていることは、この区の誇りと言えるでしょう。

9. 回向院

回向院は、1657年の明暦の大火で亡くなった10万8000人ともいわれる人々を弔うため、幕府の命によって葬った万人塚が始まりとされる寺です。江戸の市街に甚大な被害を出した大火の記憶が、この寺の原点にあります。

境内では、1768年以降に勧進相撲が催されるようになりました。これが現在の大相撲へとつながり、1909年には境内に旧国技館が建てられるに至りました。両国国技館と回向院が近くにあるのは、偶然ではなく、相撲の歴史そのものが生んだ配置です。

この寺は、あらゆる宗派、そして人だけでなく動物など、生あるものすべてを供養するという考え方で営まれてきました。境内には猫塚や犬猫の供養塔、軍用犬や軍馬の慰霊碑など、動物を弔う碑が多く、江戸の庶民と動物の距離の近さも感じられます。なお、鼠小僧次郎吉の墓があることでも知られます。現役の寺院ですので、参拝の作法を守って訪れてください。

名物・食べ物・飲み物

墨田区の名物として外せないのは、関東風の桜餅です。小麦粉などの生地を薄く焼いてあんを包み、塩漬けの桜の葉でくるむ形で、長命寺の門前で1717年に売り出されたのが始まりと伝わります。墓参りの人をもてなす菓子だったとされ、境内の掃除で出た桜の落ち葉を使うことを思いついたのが発端だと語られます。

もう一つ、両国周辺の食文化として知られるのは、力士の食事から広まったちゃんこ鍋です。相撲部屋が並ぶ町ならではの味で、鍋を囲む文化が、相撲とともに町の暮らしに根づいています。

珍しい生き物・自然

墨田区の自然の主役は、水辺と桜です。隅田川沿いの桜並木は、約300年前に吉宗が植えさせたと語り継がれ、春には多くの人が訪れます。向島百花園では、秋に萩が咲き、季節の草花が一年を通して楽しめます。

冬の隅田川では、ユリカモメが群れる姿が見られます。この鳥は、『伊勢物語』の東下りの段に出てくる「都鳥」と同じ種とされ、平安の昔から都の人が隅田川で見かけた鳥と考えられています。古典に登場する鳥が、今も同じ川で見られるのは、この区の魅力です。

また、区の東側は海抜が低く、いわゆる海抜ゼロメートル地帯に広がっています。川と堤が暮らしの形を決めてきた土地であることが、地形からもうかがえます。

そのほか、この町の特筆すべきこと

墨田区は、ものづくりの町でもあります。1909年から1937年ごろには皮革産業が栄え、大正期には石けんや化粧品のメーカーが集まりました。江戸切子の職人は江東区と墨田区を中心に東京の東部に多く、江戸切子は1834年に江戸のガラス商が金剛砂で模様を刻んだのが始まりと伝わります。2002年には国の伝統的工芸品に指定されました。

毎年7月の最終土曜日に開かれる隅田川花火大会は、台東区浅草と墨田区向島の周辺で行われます。起源について、「飢饉や疫病の犠牲者を弔うために始まった」という話が広く語られてきましたが、近年の研究では、この話は明治から昭和初期にかけて形づくられたもので、史実とは言えないと指摘されています。実際には、花火師が自分の花火を宣伝するために打ち上げたことが由来とされます。有名な話を、そのまま信じず確かめる姿勢の大切さを教えてくれる例です。

そして、1923年の関東大震災と1945年の東京大空襲では、区の大半が焼けました。それでも人々は町を作り直し、庭も寺も、塔も、工場も立ち上がってきました。墨田区を歩くと、焼けても立て直す町の力を感じます。

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夜の顔:この町の怪談と心霊スポット

ここまで、墨田区の昼の顔を歩いてきました。明暦の大火の犠牲者を弔う寺、関東大震災と空襲の祈りの場、そして何度も焼けながら続いた相撲や庭。この区は、川と火と再生の歴史を積み重ねてきた土地です。

その厚みは、夜の顔にもつながります。江戸時代から語られてきた「本所七不思議」は、置行堀や送り提灯など、本所にまつわる奇談を集めたもので、伝承によって話が入れ替わり、8種類以上の物語があるとされます。これはあくまで昔話であり、特定の場所を探し歩くことは勧めません。当サイトの見方では、怪談とは土地の歴史や地形が、人の心に落とした影のようなものです。

鴉番組では、実話怪談や心霊スポットを、行くためではなく記録するために載せています。昼の景色を知ったうえで、夜の物語も読んでみてください。

お出かけの前に

営業時間・料金・休業日・アクセスは変わりやすいため、この記事には載せていません。お出かけの前に、各施設や自治体の公式サイトで最新の情報をご確認ください。天候や災害の影響で立入が制限されている場所もあります。

よくある質問

Q. 墨田区の観光は、どの順番で回ると効率がよいですか?

A. この記事は北から順に紹介しています。向島百花園や墨堤の桜のある北部、スカイツリー周辺、両国の寺社や慰霊の公園がある南部と、エリアごとにまとめると回りやすくなります。開園時間や催しの日程は変わるため、各施設の公式の案内で確認してください。

Q. 墨田区の名物は何ですか?

A. 関東風の桜餅や、両国周辺で知られるちゃんこ鍋のほか、伝統工芸の江戸切子が有名です。店ごとの内容は変わるため、出かける前に最新の情報を確認してください。

Q. 慰霊の場所を訪れるときの心がまえはありますか?

A. 横網町公園の慰霊堂や回向院は、現在も祈りが続く場所です。静かに歩き、法要や参拝の方の妨げにならないよう配慮して、写真の撮影可否も現地の案内に従ってください。

参考にした公式サイト・資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/墨田区
https://ja.wikipedia.org/wiki/東京スカイツリー
https://ja.wikipedia.org/wiki/向島百花園
https://ja.wikipedia.org/wiki/横網町公園
https://ja.wikipedia.org/wiki/すみだ北斎美術館
https://ja.wikipedia.org/wiki/旧安田庭園
https://ja.wikipedia.org/wiki/牛嶋神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/回向院
https://ja.wikipedia.org/wiki/隅田公園
https://ja.wikipedia.org/wiki/両国国技館
https://ja.wikipedia.org/wiki/隅田川花火大会
https://ja.wikipedia.org/wiki/桜餅
https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸切子
https://ja.wikipedia.org/wiki/本所七不思議

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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