北陸トンネル(敦賀市)

目次
この場所の基本情報(所在地・沿革・状態など)を見る
- 所在地
- 敦賀市(地図上の位置はおおよその座標です)
- 竣工
- 1962年(旧北陸本線の複線トンネルとして開通)
- 閉鎖・供用停止
- 該当なし(現役の鉄道トンネルとして使用され続けている。ハピラインふくい線が通過)
- 噂の初出
- 1972年11月(列車火災事故発生時期)
- 現在の状態
- 現在もJR北陸本線を継承する第三セクター・ハピラインふくいが使用する現役の鉄道トンネル
- 立入可否
- 立入不可(現役の鉄道用地・線路内。一般の徒歩立入はできない)
- 最終確認
- 2026.09.23
1972年11月に発生した列車火災事故の現場として知られる、敦賀市と南越前町にまたがる現役の鉄道トンネル。
語られていること
敦賀市樫曲から南越前町今庄へ抜ける全長13キロ近い長大トンネル。1972年11月6日深夜、走行中の急行列車の車内から出火し、乗客乗員30名が亡くなる惨事となった。トンネル内という逃げ場のない環境が被害を大きくしたとされ、この事故は後の鉄道車両の防火基準の見直しにつながった出来事でもある。
事故後、亡くなった乗客・乗員の霊がトンネル内をさまよう、非常灯の下に人影が立つ、といった噂がインターネット上の心霊スポット紹介サイトで語られている。ただし、これらは事故の凄惨さから後年語られるようになった噂であり、事故当時の一次資料に霊的な体験談が記録されているわけではない。
1972年11月6日の夜に起きたこと
1972年(昭和47年)11月6日の未明、大阪発青森行きの急行「きたぐに」は、15両編成で敦賀駅を出発し、北陸トンネルに入った。午前1時8分ごろ、3両目の食堂車の喫煙室付近から出火し、乗客が通報した。列車は敦賀側の入口から約5.3キロ、今庄側から約8.6キロの地点で緊急停止した。
乗務員は火災車両の切り離しに取りかかり、午前1時34分に食堂車と前の車両の切り離しを終えた。しかし火災によって架線と周囲の設備が放電短絡を起こし、送電が止まり、列車は自力で動けなくなった。トンネルの中は煙で満たされ、乗客は暗く長い坑内を歩いて脱出することになった。全員がトンネルから救出されるまでには、約10時間半かかった。死者は30人にのぼり、その大半が一酸化炭素中毒によるものとされる。負傷者は714人にのぼった。
裁判で最も合理的と認められた鑑定によれば、出火の原因は、電気暖房の器具と車内配線との接続不良だった。列車の振動で接続部が緩み、電気抵抗が増して異常に発熱し、配線の被覆が溶けて火が出たとされる。食堂車は、難燃性の水準が最も低い部類の車両だったという。
当時、国鉄の内部では「電化されたトンネルでは火災は起こらない」という考え方が支配的で、トンネル内には排煙や消火の設備も、別の経路の避難口もなかった。トンネルの照明も、平常時は消灯されていた。事故のあと、車両の難燃化や不燃化、照明の一斉点灯、非常用電話の増設、坑口への救難装備の備蓄などが進められ、トンネル内で火災が起きた場合には「停止せず、走り抜けて脱出する」という運転規程に改められた。
記録から分かること
北陸トンネルは事故後も設備更新を重ねながら現役の鉄道トンネルとして使用され続けており、現在もハピラインふくい線の列車が日常的に通過している。線路内への立入は法律上禁止されており、心霊スポットとして徒歩で訪れることはできない。
当サイトの考察 ― 「逃げ場のなさ」が語りを生む
北陸トンネルに霊がさまよっているという話は、事故当時の一次資料に記録されているわけではない。後年、事故の凄惨さを知った人々のあいだで語られるようになった噂である。当サイトとしては、この噂が生まれた背景に、事故の悲惨さだけでなく、「暗い長大トンネルの中で、逃げ場を奪われた」という状況そのものへの恐怖があると考えている。
事故の背景にあった「電化トンネルでは火災は起きない」という思い込みは、見方を変えれば、最悪の事態を想定しなかったという、人間の油断の記録でもある。被害に遭った乗客に落ち度はなく、責任は仕組みの側にあった。これは推察だが、自分に過失がないのに、理不尽に命を奪われたという構図は、人の心に最も深い恐怖と悲しみを残す。怪談はしばしば、そうした「納得できない死」の周りに生まれるのではないか。
「非常灯の下に人影が立つ」という噂に、当サイトは事故時の状況の反響を見る。トンネル内の照明は平常時は消えており、煙が立ちこめるなか、乗客は暗闇を手探りで進んだ。非常灯だけが点る薄暗い空間に人影が浮かぶ光景は、あの夜に実際にあった姿を、後の世代が想像で再構成した像である可能性がある。当サイトの見方では、人影の噂は、脱出しようと歩いた人々への、無意識の記憶の転写ではないか。
長さ約13.9キロのトンネルは、入り口から出口まで、延々と闇が続く。入った瞬間に外界の音や光が消え、列車の走行音だけが響く。その体験そのものが、人に閉じ込められるような感覚を与える。列車で通過するだけでも、多くの人が心の片隅に不安を覚える場所だろう。
最後に、当サイトのスタンスを明記しておく。この事故は、30人もの命が失われた、実在の出来事である。亡くなった方々の無念を「怖い話」として消費してしまうことは、当サイトの本意ではない。語り継がれるべきは、霊の噂より、事故を教訓として防火基準が見直され、後の乗客の命を守ってきたという事実のほうだと考える。
近くのおすすめスポット ― 氣比神宮
敦賀市の中心部には、北陸道の総鎮守として知られる氣比神宮がある。松尾芭蕉も参拝したと伝わる古社で、朱塗りの大鳥居は日本三大鳥居のひとつに数えられる。境内は静かな木々に包まれ、四季を通じて参拝者が絶えない。トンネルを訪ねたあとは、敦賀の歴史と信仰を伝えるこの神社に足を延ばし、心を落ち着けてみるのもいいかもしれない。
訪れる際の注意
このスポットは実際に30名が亡くなった鉄道事故の現場です。当サイトでは事故を娯楽的に扱う意図はなく、史実として正確に伝えることを優先しています。ご遺族や関係者への配慮のない言動、線路内への立入は固く控えてください。列車の車窓からトンネルの入口付近を見ることはできますが、それ以上の行為は行わないようにしてください。
この記事には事故や死に関わる話題が含まれている。もし今つらい気持ちを抱えている場合は、一人で抱え込まず、よりそいホットライン(0120-279-338・24時間対応・無料)などの相談窓口の利用も考えてほしい。
よくある質問
Q. 北陸トンネルは今も使われていますか?
A. 現役の鉄道トンネルで、ハピラインふくい線の列車が日常的に通過しています。線路内への立入は法律上禁止されており、徒歩で訪れることはできません。
Q. 霊の噂は事故当時の記録にも残っていますか?
A. いいえ。事故の凄惨さから後年語られるようになった噂で、事故当時の一次資料に霊的な体験談が記録されているわけではありません。
Q. 1972年の事故とはどのようなものですか?
A. 1972年11月6日深夜、走行中の急行列車の車内から出火し、乗客乗員30名が亡くなった事故です。後の鉄道車両の防火基準の見直しにつながったとされています。
Q. 北陸トンネルの事故の原因は何だったのですか?
A. 裁判で最も合理的と認められた鑑定では、食堂車の電気暖房器具と車内配線との接続不良が原因とされています。列車の振動で接続部が緩み、異常な発熱から出火したと説明されています。
Q. 事故のあと、トンネルの安全対策はどう変わりましたか?
A. 車両の難燃化、トンネル内の照明の一斉点灯、非常用電話の増設、坑口への救難装備の備蓄などが進められました。トンネル内で火災が起きた場合は、停止せず走り抜けて脱出する運転規程に改められました。
Q. 鴉番組は北陸トンネルで取材・撮影を行いましたか?
A. いいえ、北陸トンネルでは現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。
あなたが一番怖いと思う心霊スポットは?
このスポットが一番怖いと思ったら、下のボタンを押してください。サイト全体で1票、あとから別のスポットに変更もできます。
この記事はいかがでしたか?
お気に入り登録すると、マイページから登録した記事をまとめて確認できます。













コメント