敦賀の地名はなぜ「角」なのか ― 額に角を持つ渡来人の伝説

目次
この怪談の基本情報(地域・時代・出典)を見る
- 地域・国
- 福井県
- 市区町村・エリア
- 福井県敦賀市
- カテゴリ
- 伝承・民話
- 時代区分
- 伝承上は古代(日本書紀の記述に基づく)
- 出典
- Wikipedia「都怒我阿羅斯等」ほか
- 出典の性質
- Wikipedia・事典
- 最終確認日
- 2026年9月16日
福井県敦賀市(つるがし)。港町として知られるこの地には、地名そのものの由来にまつわる不思議な伝説がある。額に角(つの)を生やした異形の人物が、はるか海の向こうから船でこの地にたどり着いたという「ツヌガアラシト」の物語だ。単なる空想の怪物譚ではなく、古代日本と朝鮮半島との交流を今に伝える、歴史的な意味を持つ伝説でもある。当サイトでは、この伝説の内容と、敦賀という地名との関係を取材した。
由来 ― 額に角を持つ人物が伝えた物語
奈良時代に成立した歴史書『日本書紀(にほんしょき)』には、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)という人物についての伝説が2つ記されている。1つ目の伝説では、崇神天皇(すじんてんのう)の時代、額に角が生えたツヌガアラシトが船で日本海側の港・笥飯浦(けひのうら、現在の敦賀)に到着したとされる。その後、垂仁天皇(すいにんてんのう)から赤い絹布を授かって帰国しようとしたところ、それを新羅(しらぎ=古代朝鮮半島にあった国)の人々に奪われてしまい、これが日本と新羅の関係が悪化するきっかけになったという逸話が続く。
もう1つの伝説では、黄色い牛を代償として得た白い石が美しい少女の姿に変わり、その少女がやがて日本へ渡って、難波(なにわ、現在の大阪)と豊国(とよのくに、現在の福岡・大分周辺)で神として祀られるようになったという、より神話的な展開が語られている。角のある人物という異様な設定は、当時の人々にとって「海の向こうから来た、見慣れない格好をした人」を象徴的に表現したものと考えられている。
もう少し細かく見ておこう。『日本書紀』に記された二つの話は、垂仁天皇の二年の条に、注として添えられた形で載っている。つまり、本文の筋とは別に「こういう伝えもある」と書き留められたものだ。人物の出身は、新羅ではなく、意富加羅国(おおからのくに、大加羅・大伽耶とも。現在の韓国南部にあたる)の王子と記されている。同じ半島南部でも、新羅とは別の国の人物だという点は押さえておきたい。
帰国の際の話にも、少し複雑な背景がある。垂仁天皇は、先代の崇神天皇の名にちなんで、彼の国の名を「みまな」(任那)とするよう命じ、赤い絹を与えた。その赤絹を新羅の人々が奪ったことから、のちに新羅と任那の仲が悪くなった、という流れである。一人の旅人の物語が、当時の国同士の力関係を説明する話にもなっていたことが分かる。
「角鹿」から「敦賀」へ ― 地名に刻まれた渡来の記憶
この伝説は、単なる昔話にとどまらず、敦賀という地名の由来そのものと深く結びついている。「つぬが」という響きは、新羅における最高位の官位を表す言葉「舒弗邯(じょふつかん、角干)」の訓読みに由来するとされ、これが「角鹿(つぬが)」という漢字表記になった後、時代を経て現在の「敦賀」という表記に転じたと考えられている。実際、敦賀の周辺には新羅にゆかりのある神社がいくつも分布しており、古代のこの地に朝鮮半島南部(新羅など)からの渡来人(とらいじん)が定着していたことを示す手がかりとされている。
名前の「アラシト」にも意味があると考えられている。これは朝鮮語の「閼智(アルチ)」に通じるとされ、新羅や加耶で貴人を敬って呼ぶ言葉だったとする見方が有力だ。つまり、名前の全体が「角(つの)のある官位の貴人」といった響きを持っている。これは推察だが、額の角は、実際の角ではなく、地位を示す冠の飾りや称号が、物語の中で目に見える形になったものだったのかもしれない。
地名と並んで、人の「血筋」も語られている。平安時代初期にまとめられた『新撰姓氏録』には、都怒我阿羅斯等の子孫とされる氏族がいくつか載っている。また、敦賀周辺には、新羅系とされる白城神社や信露貴彦神社といった式内社(古い法典に載る由緒ある神社)が分布しており、渡来人が何度も訪れ、そこに定着した様子がうかがえる。ただし、同じ半島からの伝承でも、新羅の王子とされる天日槍(あめのひぼこ)の話と混ざり合っているとみる意見もあり、伝承は長い年月のなかで形を変えたと考えられている。
現在の敦賀 ― 港町に残る渡来の記憶
現在、敦賀市内にはツヌガアラシトをかたどった像が設置されており、地名の由来を伝える観光名所の一つになっている。敦賀は古代から日本海交易の重要な港として栄え、近代以降も大陸への玄関口として重要な役割を果たしてきた。額に角を持つ渡来人の伝説は、この港町が古くから海外との交流の窓口だったという歴史を、神話という形で今に伝えていると言えるだろう。
気比神宮の社伝では、都怒我阿羅斯等は敦賀の統治を命じられたとされ、境内の摂社・角鹿神社は、その政所の跡だと伝える。現在はこの神社に、都怒我阿羅斯等が祭神として祀られている。つまり、「角のある異形の人」は、伝説の登場人物であるだけでなく、いまも神社で祀られている存在でもある。JR敦賀駅の前には像が置かれ、旅人を出迎えている。
考察 ― 「異形」として語られた渡来人
これは当サイトの見方だが、ツヌガアラシトが「額に角のある人物」として語られたことには、単なる奇異な見た目以上の意味が込められているのではないか。古代の日本人にとって、海の向こうからやってきた渡来人は、言葉も服装も風習も異なる、まったくの「異人(いじん)」だったはずだ。その異質さを説明する手段として、「角がある」という分かりやすい異形の特徴が与えられたのではないか、というのが当サイトの推察だ。
当サイトの見方では、この伝説が単なる作り話として消えずに、地名という形で1300年以上も残り続けていること自体が興味深い。「敦賀」という現代人が何気なく使う地名の奥に、古代の国際交流の記憶と、異なる文化を持つ者への畏怖や好奇心が同時に刻まれている。角のある異形の人物という伝説の姿は、恐怖の対象というより、異なる文化がこの国にもたらした衝撃そのものの象徴だったのではないだろうか。
これも当サイトの想像に過ぎないが、額に角を生やした人物が、言葉も通じないままある夜突然この地の浜に上陸してきたという場面をそのまま想像すると、当時の人々が覚えたであろう恐怖は生半可なものではなかったはずだ。霧の立ち込める浜辺に、見たこともない異形の姿がじっと佇み、こちらを見つめている——そんな遭遇を実際に体験した者がいたのだとすれば、その夜の恐怖は千年以上経った今も、敦賀という地名の響きの奥にかすかに残り続けているのかもしれない。
ここで、もう一歩踏み込んでみたい。当サイトの見方では、この伝説で最も大事なのは「額の角」そのものより、「迎える側が、見知らぬ人を追い払わず、地名として名前を残した」という点である。異国の人を恐れて排除するのではなく、その人の称号をそのまま土地の名にしてしまった。これは推察だが、敦賀の人々にとって、海の向こうからやって来る人々は、恐怖の対象である以前に、交易や技術をもたらす「客人」だったのではないか。
一方で、物語には影の部分もある。赤絹を奪われ、新羅と任那が不和になったという筋は、異国との交流が、必ずしも穏やかなものではなかったことを示している。港は富をもたらす一方で、争いの火種を運び込む場所でもあった。当サイトの想像だが、浜に立つ人々は、入ってくる船を見るたびに、期待と不安の入り混じった目で水平線を見つめていたのではないか。
こうして見ると、「敦賀」という地名は、異質なものを受け入れた土地の記憶そのものだと感じられる。角の伝説を、怖い話としてではなく、遠い国から来た人と、迎えた人との出会いの記録として読み直すと、港町の歴史が少し違って見えてくるはずだ。
近くのおすすめスポット ― 気比神宮
敦賀市の中心部には、北陸道総鎮守として崇敬を集めてきた気比神宮が鎮座する。朱塗りの大鳥居は「日本三大鳥居」の一つに数えられ、松尾芭蕉も『奥の細道』の道中でこの地を訪れ句を残した。境内には四季折々の花々が彩りを添え、隣接する気比の松原は日本三大松原の一つとして知られる白砂青松の景勝地だ。敦賀という土地に息づく信仰と自然の両方を、静かな気持ちで巡ってみてほしい。
見学にあたっての注意
ツヌガアラシト像や敦賀周辺の神社は、市街地や現役の宗教施設に位置している。見学の際は交通の妨げにならないよう注意し、神社については信仰の場であることを踏まえ、敬意を持って訪れてほしい。
なお、伝承や渡来の歴史は、国や民族に関わる繊細な話題でもある。特定の国や人々への偏見を助長しないよう、史料に基づく話と、後世の解釈や当サイトの推察とを分けて読んでほしい。
よくある質問
Q. ツヌガアラシトとはどのような人物ですか?
A. 『日本書紀(にほんしょき)』に登場する伝説上の人物で、額に角(つの)が生えていたとされます。朝鮮半島から日本へ渡ってきた「渡来人(とらいじん=海外から日本へ移り住んだ人)」を象徴する存在と考えられています。
Q. 敦賀という地名はどこから来ているのですか?
A. 「つぬが」という響きが、新羅(しらぎ=古代朝鮮の国)の高い官位を表す言葉の訓読みに由来し、「角鹿(つぬが)」という地名になった後、「敦賀」という字が当てられるようになったとされています。
Q. 額に角があるというのは本当の話ですか?
A. 史実そのものというより、海外から来た人物であることを象徴的に表現した伝説上の設定と考えられています。当時の人々にとって、見慣れない格好をした渡来人が、角のある異形の姿として語り伝えられた可能性があります。
Q. 敦賀に新羅系の神社が多いのはなぜですか?
A. ツヌガアラシトの伝説が示すように、古代の敦賀は朝鮮半島南部(新羅など)からの渡来人が定着した土地だったと考えられており、その名残として新羅にゆかりのある神社が今も点在しています。
Q. ツヌガアラシト像は今も見ることができますか?
A. はい。敦賀市内にはツヌガアラシトをかたどった像が設置されており、地名の由来を伝える観光名所の一つになっています。
敦賀とツヌガアラシトの伝説については、動画でも紹介する予定です。当サイトのYouTubeチャンネルもあわせてご覧ください。
Q. 鴉番組は敦賀の地名で取材・撮影を行いましたか?
A. いいえ、敦賀の地名では現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。
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