鴉番組 KARASU CHANNEL
N 35°41′ / E 139°41′
SCROLL TO DESCEND
HOMEARTICLES怪談殺生石 ― 九尾の狐が封じられた石は、なぜ令和になって割れたのか

殺生石 ― 九尾の狐が封じられた石は、なぜ令和になって割れたのか

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

殺生石 ― 九尾の狐が封じられた石は、なぜ令和になって割れたのか
目次
この怪談の基本情報(地域・時代・出典)を見る
地域・国
栃木県
市区町村・エリア
那須郡那須町(那須高原)
カテゴリ
伝承・民話
時代区分
伝説は平安時代末期、石が打ち砕かれたのは室町時代(至徳2年・1385年)、石が割れたのは令和4年(2022年)
出典
Wikipedia「玉藻前」https://ja.wikipedia.org/wiki/玉藻前
出典2
Wikipedia「殺生石」https://ja.wikipedia.org/wiki/殺生石
出典3
2022年3月の報道各社(ねとらぼ・ライブドアニュース等)
出典の性質
事典・報道
最終確認日
2026年9月16日

栃木県那須町の那須高原、硫黄の匂いが立ち込める荒涼とした一帯に、「殺生石(せっしょうせき)」と呼ばれる岩がある。近づいた鳥や虫、時には人の命までも音もなく奪ってきたと伝わるこの毒石には、宮中を惑わした絶世の美女が、実は九つの尾を持つ妖狐だったという、日本の妖怪伝説の中でも屈指の知名度を誇る物語が刻まれている。そして令和4年(2022年)、六百年以上そこに在り続けたとされるその石が、真っ二つに割れているのが確認された。

由来 ― 上皇を惑わせた美女の正体

伝説によれば、平安時代末期、鳥羽上皇のもとに「玉藻前(たまものまえ)」という美貌と博識を兼ね備えた女官が仕えていた。上皇はたちまち玉藻前を寵愛するようになったが、やがて上皇の体調が原因不明のまま悪化していく。陰陽師・安倍泰成が占ったところ、玉藻前の正体は、インドや中国で悪行を重ねたのち日本に渡ってきた九尾の狐であることが見破られた。正体を暴かれた玉藻前は、そのまま狐の姿となって都を逃げ出し、那須野の地に身を隠した。人々に害をなす妖狐を討つため討伐軍が編成され、三浦介・上総介らの武将によって、ついに九尾の狐は討ち取られる。

討たれてなお人を殺し続けた石

九尾の狐は討たれた後も、その怨念によって巨大な毒石へと姿を変え、近づいた人間や動物、鳥類を、音もなく、次々と死に至らしめ続けたとされる。人々はこの石を「殺生石」と呼んで恐れた。時は下って室町時代、至徳2年(1385年)、曹洞宗の僧・玄翁和尚がこの地を訪れ、杖で石を打ち砕き、成仏させたという言い伝えが残っている。ちなみに、現在も金づちの一種を指す「げんのう(玄翁)」という道具名は、この玄翁和尚が石を打ち砕いた逸話に由来するとされている。打ち砕かれた石の破片は各地に飛び散り、それぞれの土地で祀られるようになったとも語られており、一つの妖怪伝説が全国各地の地名・信仰に枝分かれしていった珍しい例でもある。

ホッカイロ 貼らない レギュラー 30個入 (興和/KOWA)の商品画像
PR

冬季の夜間探索・長時間の張り込み撮影時の防寒対策に。

ホッカイロ 貼らない レギュラー 30個入 (興和/KOWA)

商品の購入により、当サイトが紹介料を受け取る場合があります。

令和4年、石は真っ二つに割れた

那須高原に残る殺生石本体は、周囲8メートル、高さ2メートルほどの姿で長く親しまれてきたが、令和4年(2022年)3月5日、この石が真っ二つに割れているのが確認された。専門家の見解では、石の亀裂に染み込んだ水分が冬の冷え込みで凍結・膨張を繰り返したことによる自然現象と見られている。それでも「九尾の狐の封印が解けたのではないか」というニュースが国内外で大きな話題となり、地元・那須町観光協会は同月下旬に慰霊祭と平和祈願祭を執り行った。妖怪の伝説と地質学的な自然現象という、まったく異なる二つの説明が同時に成り立つこの出来事は、令和という時代になってもなお、この伝説が単なる昔話として片付けられていないことを物語っている。

補足しておくと、この割れ目は、まったくの突然に生じたわけではないようだ。那須町は、割れる数年前から石にひびが確認されていたとして、「自然に割れた可能性が高い」という見解を示している。それでも、地元ではこの出来事が「一大事」と受け止められ、3月末に観光協会による慰霊祭と平和祈願祭が営まれた。自然現象という説明と、鎮魂の儀礼が並んで行われた点に、この土地の人々の距離感がよく表れている。

殺生石の周辺が、今も危険な場所であることを示す出来事もあった。同じ2022年の12月には、殺生石の近くでイノシシ8頭の死骸が見つかったと報じられている。群れで行動していた最中に、特に硫化水素や亜硫酸ガスの発生が多いとされる殺生石の奥の方で横たわっていたという。タヌキやキツネの死骸はそれまでも見つかっていたが、イノシシは初めてだったとされる。伝説の「近づく命を奪う石」は、科学の言葉で言い換えれば、今も有毒な火山ガスが滞留する場所だということになる。

この石を世に知らしめた人物の一人が、松尾芭蕉である。芭蕉は『おくのほそ道』の旅でこの地を訪れ、「石の香や夏草赤く露暑し」の句を詠んだ。石そのものから立ちのぼる硫黄の香りと、ガスの影響で赤く変色した夏草。その光景が、伝説と結びついて強く印象に残ったのだろう。殺生石は、2014年に国の名勝にも指定されており、伝説の石であるとともに、歴史と景観の価値が公に認められた場所でもある。

砕かれたかけらがどこへ散ったのかについても、複数の説が語られている。一般には、各地の「高田」と呼ばれる土地、たとえば美作国高田(現在の岡山県真庭市勝山)、越後国高田、安芸国高田、豊後国高田、会津高田などに飛んだとされる。また、飛騨では牛蒡種に、四国では犬神に、上野国ではオサキになったという言い伝えもある。福島県会津美里町の伊佐須美神社には、殺生石の破片が飛来したと伝わる末社があり、同町は2015年に那須町と友好都市協定を結んでいる。伝説が、現代の町と町をつなぐ縁にもなっているのは興味深い。

こうした各地の「殺生石」は、必ずしも那須の石の直接の分身と証明されているわけではない。伝承の上でそう伝えられている、というレベルの話であり、土地ごとに別の由来を持つ石が、後から殺生石の物語に取り込まれた可能性も考えられる。有毒な火山ガスが出る場所を「殺生石」と呼ぶ例が他にもある、という指摘もある。全国に広がる殺生石の伝承は、一つの出来事の証拠というより、危険な土地を語り継ぐための共通の言葉だったのかもしれない。これは当サイトの推察である。

毎年5月には、那須岳(茶臼岳)を鎮める祈りとして、「御神火祭」が観光協会の主催で行われている。白装束に狐の面などをつけた人々が松明の行列をつくり、温泉神社で採った火を殺生石まで運ぶ。ここでも、九尾の狐は、ただ恐れられる存在ではなく、土地の祭りの主役として迎えられている。恐怖と親しみが、一つの祭りの中に同居しているのである。

メルテック(meltec) 車載用 インバーター DC12V コンセント1口120W Meltec IP-150の商品画像
PR

シガーソケットにつなぐだけで車のバッテリーから家庭用コンセント(AC100V)を使えるようにするインバーター。夜通しの張り込みでノートPCの充電やカメラ・照明機材の予備バッテリー充電、スマホの複数台同時充電など、車中泊しながらの長時間撮影で電源を確保したい場面で使える。

メルテック(meltec) 車載用 インバーター DC12V コンセント1口120W Meltec IP-150

商品の購入により、当サイトが紹介料を受け取る場合があります。

考察 ― 「割れた」ことがなぜニュースになったのか

ここから先は、当サイトの推測を交えた見方になる。石が凍結と膨張で割れること自体は、地質学的にはさほど珍しい現象ではない。それにもかかわらず、殺生石が割れたというニュースが海外メディアにまで取り上げられるほどの話題になったのは、多くの人が心のどこかで「本当に何かが封じられていたのかもしれない」という感覚を、完全には否定しきれなかったからではないだろうか。玄翁和尚が石を打ち砕いてから600年以上、人々はこの石を「封印された妖怪」として扱い続けてきた。その石が自然現象とはいえ実際に割れたとき、人々が真っ先に連想したのが「これで封印が解けるのではないか」という不安だったという事実こそが、この伝説がいかに長く、そして深く、この土地の人々の想像力に根を張ってきたかを示しているように思う。

地元観光協会が「不吉な前兆」として片付けるのではなく、慰霊祭と「平和祈願祭」という形で対応したことも興味深い。これは、討伐され封じられた九尾の狐という存在を、単なる悪者として扱うのではなく、なお鎮魂すべき対象として向き合い続けているということでもある。九尾の狐は千年近く「殺され続けている」存在であり続けているとも言えるのかもしれない。

当サイトが注目したいのは、玄翁和尚の逸話が「討った」「封じた」ではなく「成仏させた」と語り継がれている点である。九尾の狐は人を殺め続けた明確な「悪」であるにもかかわらず、日本の宗教観はこれを単純に滅ぼすべき敵として処理しなかった。仏教的な救済の対象として、人間以外の、しかも罪深い存在にまで成仏という道を用意する――この発想は、怨みを晴らすことよりも、怨みそのものを鎮め、浄化することを優先する日本的な鎮魂の思想を色濃く映しているように思う。裏を返せば、それだけ九尾の狐の怨念が強く、生半可な方法では鎮まらないと信じられていたということでもあるだろう。

これは推察だが、殺生石と呼ばれる岩が実際に生物の命を奪ってきたという伝承には、単なる作り話では片付けられない土台があったのではないかとも思う。那須高原一帯は現在も火山性ガスが噴出する活火山地帯であり、風向きや地形によっては有毒なガスが滞留し、小動物や虫が死んでいるのが見つかることは今も珍しくない。科学的な説明を持たなかった時代の人々が、目に見えないまま命を奪う現象に直面したとき、それを「妖狐の怨念」という物語に落とし込んだのだとすれば、殺生石伝説は危険な土地に近づかせないための、古人なりの警告装置だったとも解釈できる。恐怖の物語が、結果として人の命を守ってきた可能性がある――そう考えると、この伝説の「怖さ」は、単なる作り話の怖さとは少し違って見えてくる。

当サイトの見方では、破片が全国各地に飛び散り、それぞれの土地で祀られてきたという言い伝えにも、もう一段深い意味があるように感じられる。封印がただ一箇所に集約されているのではなく、複数の土地に分散して管理されてきたのだとすれば、それは裏を返せば「一箇所だけでは鎮めきれない」ほどの存在だったことの表れではないだろうか。令和4年に那須高原の本体が割れたという出来事は、地質学的には偶然の自然現象にすぎない。しかしこの伝説の文脈に置いてみると、全国に分散したはずの均衡の一角が、六百年以上を経て静かに崩れ始めた徴候のようにも読めてしまう。もちろんこれは当サイトの想像に過ぎないが、事実だけでは語り尽くせない余白にこそ、この伝説が今なお人々を惹きつけてやまない理由があるのかもしれない。

普段の顔 ― リゾート地としての那須高原

殺生石があるのは、那須御用邸をはじめ皇室や政財界の別荘が集まる那須高原の一角だ。周辺には那須どうぶつ王国や那須ハイランドパーク、りんどう湖ファミリー牧場といったレジャー施設が点在し、避暑地・別荘地として首都圏から多くの観光客が訪れる。殺生石そのものも遊歩道が整備された園地として公開されており、硫黄の匂いが漂う荒涼とした岩場は九尾の狐伝説を抜きにしても一見の価値がある景観だ。周辺の那須湯本温泉では日帰り入浴も楽しめる。

見学にあたっての注意

殺生石周辺は現在も火山性ガスが発生する活火山地帯であり、国名勝にも指定された観光地として遊歩道が整備されているが、ガスの噴出状況によっては立入が規制されることがある。訪問前に那須町観光協会等で最新の状況を確認してほしい。本記事は「行くため」ではなく「記録するため」に掲載している。

よくある質問

Q. 殺生石が割れたのは本当ですか?

A. はい。2022年3月に石が真っ二つに割れているのが確認されました。専門家は水分の凍結・膨張による自然現象と見ていますが、話題性の大きさから国内外で報道されました。

Q. 殺生石は今も見学できますか?

A. はい。那須高原の観光地として遊歩道が整備されていますが、火山性ガスの発生する活火山地帯のため、立入が規制される場合があります。訪問前に最新情報を確認してください。

Q. 鴉番組は那須で取材・撮影を行いましたか?

A. いいえ、現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。

Japanese horror 鴉番組

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

あなたが一番怖いと思う記事は?

この記事が一番怖いと思ったら、下のボタンを押してください。サイト全体で1票、あとから別の記事に変更もできます。

この記事はいかがでしたか?

お気に入り登録すると、マイページから登録した記事をまとめて確認できます。

無料会員登録はこちらから

投稿募集中

この記事のような体験、他にもありませんか。あなたの実話怪談を投稿できます。内容を確認のうえ掲載します。

投稿する ↗

コメント

コメントを書く

最新怪談記事
ENGLISH