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丸亀城 ― 優れすぎた石垣職人・羽坂重三郎はなぜ殺されたのか

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

丸亀城 ― 優れすぎた石垣職人・羽坂重三郎はなぜ殺されたのか
目次
この怪談の基本情報(地域・時代・出典)を見る
地域・国
香川県
市区町村・エリア
丸亀市(丸亀城)
カテゴリ
心霊スポット系・伝承
時代区分
安土桃山〜江戸時代初期
出典
coffeespark「羽坂重三郎~丸亀城主に殺されてなお主君のために働いた石職人の霊~」 http://www.coffeespark.com/juzaburo/
出典2
Yahoo!ニュース エキスパート「丸亀城に伝わる2つの伝説」 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/638acdaa78ac77c0102e92832a4753206bb4448a
出典の性質
地域メディア/ニュースメディア
最終確認日
2026年9月16日

香川県丸亀市の丸亀城(まるがめじょう)は、石垣の総高が日本一とされる名城として知られている。この見事な石垣を築いた腕利きの職人がいたと伝えられているが、その職人は、まさに自らが築いた城の中で、非業の死を遂げることになったという悲しい話が今も語り継がれている。

由来 ― 鉄の棒一本で石垣を登った職人

羽坂重三郎(はさかじゅうざぶろう)は、丸亀城の石垣を築いた職人だったと伝わる。ある日、城主・生駒親正(いこまちかまさ)は、重三郎が鉄の棒一本だけを使い、高くそびえる石垣をするすると登ってしまう技を目の当たりにした。あまりの技量の高さに、城主は「これほどの技術を持つ者が、もし敵方に寝返れば、この堅固な石垣もたやすく破られてしまうのではないか」という強い不安を抱いたという。

この話には、城主が誰だったのかについて、複数の語り方がある。ここでは生駒親正の名で紹介したが、別の伝承では、城主を山崎家治とするものもある。城の歴史をたどると、生駒氏が築いたのは慶長年間(16世紀末から17世紀初め)の城で、その後、山崎氏、京極氏の時代に大きな改修が重ねられた。とくに、延宝元年(1673年)に完了した32年がかりの大改修で、現存する石垣の大半が完成したとされる。伝説の職人の名は、一つの時代の仕事というより、石垣を築いた無数の職人たちを代表する名前だったのかもしれない。

丸亀城の石垣は、山麓から山頂まで4段に重ねられ、全体の高さは約60メートルに達し、総高では日本一とされる。ゆるやかな勾配から始まり、上へ行くほど垂直に近づく独特の反りは「扇の勾配」と呼ばれる。ただし、単体の石垣として日本一高いのは大坂城で、丸亀城は「総高」での日本一である。垂直に近い石垣の頂を、鉄の棒一本で登れるという話が生まれたのも、この独特の反りがあったからこそ、と想像したくなる。

井戸に呼び出され、殺された重三郎

不安を拭えなかった城主は、重三郎に「城内に何者かが侵入した疑いがあるので、二の丸の井戸を調べてほしい」と命じて呼び出す。何も疑わず井戸の底へ降りた重三郎に対し、上から次々と大きな石が投げ込まれた。重三郎は何が起きているのか理解できないまま、石の直撃を受けて命を落としたと伝えられている。優れた技術を持っていたがゆえに、その技術そのものを恐れられ、口封じのように命を絶たれてしまったのだ。

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現状 ― 死してなお主君のために働いた忠義の霊

重三郎の死後、城内では井戸の周辺から水の音がしたり、青白い炎が上がったりするという噂が広まり、人々は次第に近づかなくなったと伝えられる。やがて城主の寝室に、血まみれの姿をした重三郎の霊が現れ、「井戸の中に怪しい者はおりません」と、生前と変わらぬ忠実な口調で報告したという話も語り継がれている。自分を殺した相手であるにもかかわらず、命じられた務めを律儀に果たそうとするこの逸話は、重三郎の忠義の深さを示す話として伝えられてきた。丸亀城は現在、国の重要文化財に指定され、現存12天守の一つとして多くの見学者を迎えている。

丸亀城には、重三郎の話とは別に、もう一つ悲しい伝説が伝わる。築城の際に石垣の工事が難航したため、人柱を立てることになり、雨の夕暮れに、たまたま近くを通りかかった豆腐売りが捕らえられ、生き埋めにされたというものだ。雨で豆腐が売れず、普段は通らない道を通ったのが運の尽きだったという。その後、雨の夜には、石垣のあたりから「とーふー、とーふー」という声が聞こえたとされる。史実を示す記録は確認されていないが、石垣の工事の裏に、名もない人々の犠牲があったという感覚が、人々の記憶に残っていたことを示している。

近年の丸亀城も、石垣の試練を受けた。2018年(平成30年)の7月豪雨や台風の影響で、城跡の南西部にある帯曲輪の石垣と三の丸坤櫓跡の石垣の一部が崩落し、以降、復旧工事が続けられている。解体の過程で、三の丸の石垣は地山まで延びる構造だと判明し、高さ31メートルで、日本で2番目の高さと確認されたという。工事の完成は2028年3月末の予定と伝わる。石を積む技の確かさは、崩れた石垣を読み解く現代の技術者たちの手で、改めて確かめられている。

考察 ― 恐れられたのは「敵」ではなく「味方」の技術だった

当サイトが興味深く感じるのは、重三郎が殺された理由が、彼が何か悪事を働いたからではなく、むしろ味方として持っていた技術があまりに優秀すぎたから、という点だ。敵ではなく、忠実に仕えていたはずの自軍の職人を、その能力の高さゆえに排除してしまうという判断には、権力者が抱える根深い猜疑心が表れているように思える。これは推察だが、この話が長く語り継がれてきたのは、単なる悲劇としてだけでなく、「優れた者ほど、その力を恐れられて疎まれることがある」という、時代を超えて共感を呼ぶ普遍的な教訓を含んでいたからではないだろうか。死後もなお忠実に職務を報告し続けたという霊の逸話は、理不尽に命を奪われてもなお失われなかった、重三郎という職人の誇りそのものを表しているのかもしれない。

宗教的な視点から見ると、殺された重三郎の霊が、恨み言ではなく生前と変わらぬ忠実な報告のために現れたという逸話には、当サイトは深い哀しみを感じる。多くの怨霊譚では、非業の死を遂げた者は恨みを晴らすために現れるものだが、重三郎の霊はあくまで職務を全うしようとする。これは推察だが、この逸話が語り継がれてきた背景には、理不尽に命を奪われてもなお、忠義という価値観そのものは裏切られなかったのだという、当時の人々の願いにも似た解釈があったのではないだろうか。井戸という、地上と地下、生者と死者を隔てる境界のような場所で最期を迎えたことも、この話に独特の重みを与えているように当サイトには感じられる。

これも当サイトの想像に過ぎないが、井戸の底に沈められた重三郎の亡骸が、誰にも引き上げられないまま長い間そこに留まり続けていたのだとすれば、夜な夜な井戸の奥から報告を続けていたというその声は、生前と変わらぬ律儀さである以上に、成仏できないまま繰り返される儀式のようにも聞こえる。井戸の水面をのぞき込んだ者が、深い底の暗がりに人影のようなものを見たと話す言い伝えが今も残っているのは、決して偶然ではないのかもしれない。

石垣は、城の中で最も人目につかず、最も長く残る部分だ。天守や櫓は焼けたり壊されたりするが、石垣は何百年も同じ形で立ち続ける。当サイトの見方では、重三郎の伝説が石垣にまつわる話として語られてきたのは、石垣に残された「見えない人間の仕事」への、無意識の敬意ではないだろうか。誰が積んだのか名前も残らない石の一つひとつに、重三郎のような、実在した名もなき職人たちの人生が宿っている。

これは推察だが、豆腐売りの人柱の話と、重三郎の井戸の話は、実は同じ思いから生まれた双子のような伝説ではないか。どちらも、石垣という巨大な事業の裏側で、権力の都合によって命を落とした「名もなき人々」の物語である。前者は偶然通りかかった行商人、後者は優秀すぎた職人。立場は違っても、「城のためなら人の命は軽く扱われた」という、人々の暗い実感が、二つの形を取って語り継がれたのだと思う。

そして、重三郎の霊が「井戸の中に怪しい者はおりません」と報告したという場面は、読めば読むほど、怖いというより切ない。疑われ、殺されたあとでも、疑いの根拠そのものを否定する報告をする。つまり、自分には裏切るつもりなど最初からなかった、と、死者の口を借りて伝えているのだ。この伝説を語り継いだ人々は、重三郎が抱いていたはずの無念を、「忠義」という言葉に包んで、ようやく口にできたのかもしれない。

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普段の顔 ― 現存12天守・丸亀城

石垣職人の悲劇が伝わる丸亀城は、現在は松山城と並ぶ「現存12天守」の一つとして親しまれる観光地だ。石垣の総高は日本一を誇り、幾重にも積み重なる曲線美は必見とされる。天守からは瀬戸内海や讃岐富士まで見渡す眺望が広がり、春には堀端の桜並木が花見客でにぎわう。優れた石工たちの技術が今なお現役で城を支えている、その事実が何よりの見どころといえる。

訪問にあたって

丸亀城は現役の観光地・重要文化財であり、危険な場所ではない。見学時間や入城料は変わることがあるため、訪問前に丸亀市や観光協会の案内で確認することをすすめる。

本記事で紹介した人柱や殺害の話は、史料による裏付けのない口伝であり、現実の出来事を勧めるものではない。また、つらい気持ちを抱えて苦しいときは、ひとりで抱え込まず、よりそいホットライン(0120-279-338、24時間対応)などの相談窓口に連絡してほしい。

よくある質問

Q. 羽坂重三郎が殺されたとされる井戸は今も残っていますか?

A. 二の丸に「二の丸井戸」と呼ばれる井戸が現存しており、この伝説にゆかりのある場所として伝えられている。

Q. この話は史実ですか?

A. 史料による裏付けは確認できておらず、口伝によって伝えられてきた伝説である。

Q. 鴉番組は丸亀城で取材・撮影を行いましたか?

A. いいえ、現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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