眠っているあいだ、私たちはどこへ行っているのか。古代エジプトの書記は夢の吉凶を巻物に書き留め、ギリシアの病人は神殿の床で神の訪れを待ち、中国の思想家は蝶になった自分に首をかしげた。遠く離れた土地の人々が、なぜ同じように夢を恐れ、同時に夢にすがったのか。世界の夢信仰をたどりながら、その理由を静かに考えてみます。
夢はどこから来るのか
今では夢を「脳が眠りのなかで記憶や感情を整理するときに生まれるもの」と説明するのが一般的です。けれど、そうした説明が生まれるずっと前から、人は夢を自分の外から届くものとして受け止めてきました。死んだ家族が枕元に現れ、見たことのない土地を歩き、翌日の出来事を言い当てたように思える。そんな体験を前にすれば、夢は自分の頭の中だけの出来事だと考えるほうが、むしろ難しかったはずです。
世界の夢信仰は、大きく二つの考え方に分けて眺めることができます。ひとつは、眠っているあいだに魂が体を抜け出し、どこかを旅してくるという考え方。もうひとつは、神や霊、祖先が眠る人のもとへ言葉や姿を送ってくるという考え方です。前者では人が向こう側へ行き、後者では向こう側がこちらへ来る。向きは逆でも、どちらも「眠りは別の世界とつながる時間だ」という感覚に支えられています。
十九世紀のイギリスの人類学者E・B・タイラーは、著書『原始文化』(1871年)のなかで、夢や死の体験が「体とは別の魂がある」という考えを人々に抱かせたのではないか、と論じました。この説そのものは後に多くの批判も受けましたが、夢と魂の観念が深く結びついているという指摘は、今も夢信仰を考える入口として示唆に富んでいます。
ナイルの書記が残した夢の書
現存する最古級の夢占いの手引きとして知られるのが、大英博物館が所蔵する「チェスター・ビーティー・パピルス三番」です。紀元前1200年代、エジプト第十九王朝の頃のもので、王家の墓を造る職人たちが暮らしたデイル・エル=メディーナの村から伝わりました。神官文字(ヒエラティック)と呼ばれる崩した書体で、夢の内容とその吉凶が一行ずつ並べられています。
書かれ方は、たとえば「人が夢の中で自分をこう見たなら、それは良い(あるいは悪い)。その意味はこうである」という形の短い項目の積み重ねです。自分が死んでいる夢を「長生きのしるし」と読む項目があるように、見た目の不吉さと意味が逆になる読み方も含まれていました。夢は神々が人に向けて送る合図であり、それを正しく読めば災いを避けられる、という考えが背景にあったと考えられています。
このパピルスは、後の時代に何人もの持ち主の手を渡ったことも分かっています。当サイトの見方では、墓造りという死と隣り合わせの仕事をしていた人々が、夜ごとの夢の意味を一行一行確かめていた姿には、単なる迷信を超えた切実さがあります。明日の自分を守るための、ささやかな手引き書だったのかもしれません。
神殿の床で神を待つ ― ギリシアの夢
古代ギリシアでは、医術の神アスクレピオスをまつる聖域が各地に置かれ、なかでもペロポネソス半島のエピダウロスが名高い場所でした。病に苦しむ人は身を清めて供え物をし、「アバトン」と呼ばれる神聖な建物で一夜を眠りました。夢の中に神が現れ、治療を施すか、治し方を告げてくれると信じられていたのです。こうして夢を求めて聖所に眠る風習は、研究者のあいだで「夢のお籠り(インキュベーション)」と呼ばれています。
エピダウロスには、癒やされた人々の体験を記した石碑が残されています。夢の中で神に触れられ、目覚めると治っていたという話も多く、そこには誇張や宣伝の色も見て取れます。それでも、眠れない夜を抱えて遠くから旅してきた病人が、冷たい床に横たわって神の足音を待った心細さと希望は、石の文字を通してもなお伝わってきます。
時代が下って二世紀ごろ、小アジアの人アルテミドロスは『夢判断の書(オネイロクリティカ)』全五巻をまとめました。各地をめぐって夢の話を集めた彼は、同じ夢でも見た人の職業や身分、境遇によって意味が変わると考えた点で知られます。夢を神の声としてだけでなく、見る人の暮らしと結びつけて読もうとした姿勢は、のちの夢の研究にも影響を与えました。
夢を解く者 ― 聖書のヨセフ
旧約聖書の「創世記」に登場するヨセフは、夢と深く結びついた人物です。若いころ、兄たちの麦の束が自分の束にひれ伏す夢や、太陽と月と十一の星が自分を拝む夢を見て、それを家族に語ったことで兄たちの妬みを買い、エジプトへ売られてしまいます。夢が彼の人生を狂わせる始まりになったのです。
やがて牢に入れられたヨセフは、同じ牢にいた王の給仕役とパン焼き役の夢を解き、その言葉どおりの結末が訪れます。のちにエジプトの王ファラオが、肥えた七頭の牛が痩せた七頭の牛に食べられる夢、実った七本の穂が枯れた七本の穂に飲み込まれる夢を見たとき、ヨセフはそれを七年の豊作と七年の飢饉の予告と読み、備えを進言しました。
注目したいのは、ヨセフが夢の解き明かしを自分の才能ではなく神に属するものだと語る点です。夢は神の意図を伝える器であり、人はそれを謙虚に受け取る。当サイトの見方では、この物語は同時に、夢を軽々しく人に語ることの危うさと、夢を正しく読むことが共同体を救う力にもなるという両面を描いているようにも読めます。
胡蝶と獏 ― 東アジアの夢
中国の思想家・荘子(荘周)の名を冠した書『荘子』の「斉物論」篇には、よく知られた「胡蝶の夢」の話があります。荘周はある日、ひらひらと楽しげに舞う蝶になった夢を見ます。目覚めてみれば自分は荘周だが、荘周が蝶になった夢を見ていたのか、蝶が荘周になった夢を見ているのか分からない、というのです。
この話は、夢を神のお告げとして読むのでも、魂の旅として恐れるのでもありません。夢と目覚めの境目、さらには「自分とは何か」という境目そのものを揺さぶる問いとして語られています。荘子はこの話を物と物とが移り変わる「物化」という言葉で結んでおり、夢を手がかりに、世界の見方そのものをほどこうとしたのだと読めます。
一方、日本で悪い夢を食べてくれる生き物として親しまれてきたのが獏です。もとは中国の想像上の獣「貘」で、唐の詩人・白居易は、その皮に寝れば疫病を防ぎ、姿を描けば邪気を払うと記しました。中国では夢を食べる獣ではなかった貘が、日本では室町時代ごろまでに悪夢を食べるものとされ、枕の下に獏の絵や字を置いたり、正月の宝船の絵に獏の字を添えたりする習わしが生まれました。
蜘蛛の巣の守り ― ドリームキャッチャー
輪に網を張り、羽根や小さな飾りを添えたドリームキャッチャーは、北米先住民のなかでもオジブウェ(アニシナベ)の人々に由来するとされます。民族誌家フランシス・デンスモアが1929年に刊行した記録などによれば、それは幼い子どもを守るための護符で、ゆりかご板(クレイドルボード)の上に吊るされました。木の枝を曲げた輪に植物の繊維などで網を編み、蜘蛛の巣が触れたものを捕らえるように、空中を漂う害を捕らえるものと考えられていました。
オジブウェの言い伝えでは、子どもたちを見守る蜘蛛の女性アシビカーシ(アシビカシ)がこの守りに結びつけられて語られます。悪い夢は網に絡め取られ、良い夢だけが中心の穴や羽根を伝って眠る人へ降りていく、という説明が広く知られていますが、細部の語り方は家や地域によって異なります。ここでは、ひとつの決まった「正しい意味」があるかのように単純化しないよう心がけたいところです。
1960〜70年代になると、ドリームキャッチャーは先住民の諸民族をつなぐ象徴として広く用いられるようになり、やがて土産物や装飾品として世界中に出回りました。その一方で、伝統とかけ離れた大量生産品が増えたことに対して、先住民の側から文化の流用を憂う声も上がっています。当サイトとしては、これを単なるおしゃれな小物ではなく、子を思う人々の祈りから生まれた守りとして紹介しておきたいと考えます。
当サイトの考察 ― なぜ人は夢を恐れ、頼ったのか
当サイトの見方では、遠く離れた文化が同じように夢を恐れ、同時に夢に頼った根には、眠りという「無防備な時間」への共通の不安があったと考えられます。眠っているあいだ、人は獣にも敵にも抵抗できません。灯りの乏しい時代、夜は今よりはるかに深く、長いものでした。その暗がりのなかで見る夢は、身を守れない時間に向こう側から何かが入り込んでくる、あるいは自分の魂が迷い出てしまう、という恐れと切り離せなかったのでしょう。
けれど恐れと同じだけ、人は夢に希望も託しました。病の治し方が分からないとき、飢饉がいつ来るか分からないとき、目覚めている頭ではどうにもならない問いを、人は眠りの向こうに持ち込みました。エジプトの書記の一覧も、エピダウロスの床も、ヨセフの解き明かしも、形は違えど「見えない明日を、少しでも先に知りたい」という願いの表れです。これは推察ですが、夢は人類にとって、不確かな未来に向けて開かれた、ほとんど唯一の窓だったのかもしれません。
もうひとつ見逃せないのは、夢の信仰の多くが「守り」の形をとっていることです。獏の絵を枕の下に置く日本の人と、ゆりかごの上に網を吊るしたオジブウェの母親は、互いの存在を知りませんでした。それでも、眠る大切な人を悪いものから守りたいという手の動きは驚くほど似ています。当サイトでは、夢の信仰の本質は予言の当たり外れよりも、闇の中で眠る誰かを案じる気持ちのほうにあったのではないかと考えています。
そして荘子の胡蝶の夢は、恐れと願いのどちらとも違う第三の道を示しています。夢を読み解こうとも追い払おうともせず、夢と現実の境があいまいであることを、そのまま受け入れる態度です。恐れ、頼り、守り、そして受け入れる。世界の夢信仰は、眠りという誰にも避けられない時間と、人がどう付き合ってきたかの記録だと言えるでしょう。
今夜と明日の朝にできること
世界の人々が夢と向き合ってきた方法は、今の私たちにも取り入れられます。まずは枕元に小さなノートを置き、目覚めてすぐ覚えている場面や色、感じた気持ちを書き留める「夢日記」を始めてみてください。エジプトの書記やアルテミドロスがしたように、夢を記録し並べてみることで、自分の心がどんなときにどんな夢を見せるのか、少しずつ見えてきます。
怖い夢を見た朝は、日本に古くから伝わる「夢違え」を思い出してみるのもよいでしょう。悪い夢が良いほうへ変わるように願う習わしです。窓を開けて朝の光を入れ、「悪い夢は夢のまま流れていきますように」と心の中でそっと唱えるだけでも、夜の名残を手放すきっかけになります。夢は怖いものであると同時に、私たちが自分を知るための、古くからの手がかりでもあるのです。
このコラムに関わる夢
よくある質問
Q. 世界で最も古い夢占いの本は何ですか?
A. 現存する最古級のものとして、大英博物館が所蔵する古代エジプトの「チェスター・ビーティー・パピルス三番」が知られています。紀元前1200年代ごろのもので、夢の内容と吉凶が一項目ずつ並べられています。
Q. 獏はなぜ悪い夢を食べると言われるのですか?
A. 獏はもともと中国の想像上の獣で、邪気や疫病を払うものとされていました。日本に伝わったあと、室町時代ごろまでに悪夢を食べる生き物と考えられるようになり、枕の下に獏の絵や字を置く習わしが生まれました。
Q. ドリームキャッチャーの本来の意味は?
A. 北米先住民オジブウェの人々に由来するとされる、幼い子どもを守るための護符です。ゆりかご板の上に吊るし、蜘蛛の巣のように害を捕らえると考えられました。語られ方は地域や家によって異なり、文化への敬意が大切です。
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