◇ 吉凶は場面しだい 同じ夢でも場面で吉にも凶にも読まれる夢。下の「こんな場面なら」で読み分けます
不吉とされがちだが、日本では神の使い(八咫烏)として道を示す存在でもある。鳴き声が気になる夢は、見落としている知らせに気づけという合図とも読める。
心理学から見ると
黒い鳥は、心理学的には「影」、つまり自分の中の認めたくない部分の使いとされることがあります。一方でカラスは人の顔を見分けて覚えるという研究もあるほど賢い鳥で、知恵や見通しの象徴でもあります。群れで騒いでいたなら周囲の噂や視線への不安、一羽だけ静かにこちらを見ていたなら、自分自身の内側から見張られているような感覚が映っていると読めます。
言い伝えと歴史
日本神話では、三本足の八咫烏が神武天皇を熊野から大和へ導いたとされ、熊野では今も神の使いとして大切にされています。熊野の神社が出す護符「牛王宝印」は烏の姿を組み合わせた文字で描かれ、昔は起請文、つまり誓いの文書に使われました。誓いを破ると熊野の烏が死に、破った者にも罰が当たると恐れられたと伝わります。カラスが鳴くと人が死ぬという言い伝えも各地に残ります。
当サイトの考察
当サイトの見方では、鴉は「道案内」であり、同時に「約束の見張り役」です。熊野の護符で誓いを立てた人々が烏の死を恐れたように、夢の鴉は、あなたが忘れかけている約束を見届けに来たのかもしれません。八咫烏が迷う者の先に立ったように、鴉は闇の中で行くべき方を示す鳥でもあります。夢の鴉がどちらへ飛んでいったか、そして何を見つめていたかを思い出してください。
当サイトの見方:もう一歩深く
夕焼け空の下でカラスが鳴くと家路を思い出す、という感覚を持つ人は多いでしょう。童謡「夕焼小焼」には、カラスと一緒に帰りましょうという一節があり、カラスは長く「帰る時刻」を知らせる鳥として歌われてきました。都市のカラスは、針金ハンガーを集めて巣を作るなど、人の暮らしに合わせて器用に生きています。当サイトの見方では、鴉の夢は「そろそろ帰る時間ですよ」という合図であることがあります。頑張りすぎて家に帰るのが遅くなっている人、心を休める場所を後回しにしている人のもとに、夢の鴉は夕暮れを告げにやって来るのかもしれません。鴉が窓辺からこちらをのぞいていた夢なら、自分の暮らしぶりを外から見直す時期。鴉が何かを落としていった夢は、見過ごしていた小さな知らせに目を向けるよう促されているとも読めます。これは推察ですが、鴉の後をついて歩いていた夢は、迷いの中でも帰る道を体が覚えている証でしょう。鴉の名を持つ当サイトとしては、この鳥が闇を運ぶものではなく、家路を照らす夕暮れの使いであってほしいと願っています。
目覚めた朝にできること
外に出たら、空を一度見上げてみてください。先延ばしにしている約束が一つあれば、今日のうちに相手へ一言返事をしておくと、夢の見張り役も安心するはずです。
こんな場面なら
- ◎吉 近づいてくる・なついてくる……味方や助けが近づいている兆し
- ▲注意 襲ってくる・噛まれる……抑えている感情や、身近な人との摩擦への注意
- 死んでいる・弱っている……その動物が表す力(本能・元気)が落ちているサイン
- 大きい・白い・金色……意味が強まる。白や金は吉の度合いが上がるとされる
- 夢の中で気持ちがよかった……同じ夢でも吉の読みが強まる
- ▲注意 夢の中で怖かった・苦しかった……注意のサインの読みが強まる。まずは休息を
- 何度も同じ夢を見る……心がまだ答えを出していない問題があるサイン
夢違え(ゆめちがえ):気になる夢を良い方へ変える
気になる夢を見た朝、昔の人は獏(ばく)の札を枕の下に敷く、庭の南天に夢を話す、夢違えの歌を唱える、といった方法で夢を良い方へ「違えて」きました。 くわしくはコラム「夢を買う、夢を違える」へ
よくある質問
Q. 鴉(カラス)の夢は吉夢ですか?凶夢ですか?
A. 同じ夢でも場面で吉にも凶にも読まれる夢。下の「こんな場面なら」で読み分けます。不吉とされがちだが、日本では神の使い(八咫烏)として道を示す存在でもある。鳴き声が気になる夢は、見落としている知らせに気づけという合図とも読める。
Q. 鴉(カラス)の夢を何度も見るのはなぜですか?
A. くり返し見る夢は、心がまだ答えを出していない問題のサインとされます。研究でも、悩みが解決すると同じ夢は見なくなりやすいことが知られています。夢日記をつけると、何がきっかけになっているかが見えてきます。
Q. 鴉(カラス)の夢を見た朝は何をすればいいですか?
A. 外に出たら、空を一度見上げてみてください。先延ばしにしている約束が一つあれば、今日のうちに相手へ一言返事をしておくと、夢の見張り役も安心するはずです。
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