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城崎温泉 ― 一羽の鳥と一人の僧侶、二つの開湯伝説

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

城崎温泉 ― 一羽の鳥と一人の僧侶、二つの開湯伝説
目次
この怪談の基本情報(地域・時代・出典)を見る
地域・国
兵庫県
市区町村・エリア
豊岡市城崎町(城崎温泉、鴻の湯)
カテゴリ
伝承・民話
時代区分
飛鳥時代(舒明天皇の時代の伝承、7世紀ごろ)
出典
城崎温泉観光協会公式サイト「城崎温泉の伝説」 https://kinosaki-spa.gr.jp/about/history/beginning-part1/
出典2
Wikipedia「城崎温泉」 https://ja.wikipedia.org/wiki/城崎温泉
出典3
Wikipedia「温泉寺 (豊岡市)」
出典4
Wikipedia「北但馬地震」
出典の性質
観光協会公式サイト/Wikipedia・事典
最終確認日
2026年9月16日

兵庫県豊岡市の城崎(きのさき)温泉は、大谿川(おおたにがわ)沿いに旅館が立ち並ぶ、日本有数の温泉街として知られる。開湯からおよそ1300年と伝わるこの温泉には、実は起源を語る伝説が二つ存在する。一つは一羽の傷ついた鳥にまつわる素朴な話、もう一つは一人の僧侶の祈りにまつわる話だ。

由来(一) ― 傷を癒やしたコウノトリ

今から約1400年前、舒明天皇(じょめいてんのう)の時代のこととされる。大谿川の上流にある松の木に、コウノトリが巣を作っていた。あるとき、足を痛めたコウノトリが田に降り立ち、水に足を浸していたところ、数日後にはすっかり元気を取り戻し、再び空へ飛び立っていったという。不思議に思った里人がその場所を調べてみると、そこから温かい湯が湧き出していた。これが城崎温泉の始まりとされ、この湯は現在も「鴻の湯(こうのゆ)」の名で親しまれている。コウノトリの夫婦がともに傷を癒やしたという説もあり、「不老長寿・夫婦円満の湯」として語り継がれてきた。

由来(二) ― 僧侶・道智上人の千日の祈り

もう一つ伝わるのが、今から約1300年前、城崎の地を訪れた道智上人(どうちしょうにん)という僧侶が、病気で苦しむ人々を救うため、千日にわたって経を唱え続けたところ、満願の日に霊験あらたかな湯が湧き出した、という伝説だ。コウノトリの伝説より少しあとの時代の話として語られており、鳥にまつわる素朴な発見譚と、僧侶の献身的な祈りによる霊験譚という、性格の異なる二つの由来が、どちらも消されることなく今日まで並んで伝えられている。

伝承を少し細かく追うと、道智上人が現れるのは奈良時代の初め、養老年間のこととされる。上人は病に苦しむ人々を救いたいと願い、八曼陀羅経(はちまんだらきょう)という経を千日のあいだ唱え続けた。満願を迎えた養老4年(720年)に霊験の湯が湧いた、というのが寺と温泉街に伝わる筋書きである。いま七つの外湯の一つに数えられる「まんだら湯」は、この経の名にちなむ。

上人はのちに、城崎を見下ろす大師山に温泉寺を開いたと伝えられ、寺伝では天平10年(738年)に聖武天皇から山号と寺号を賜ったとされる。温泉寺は今も温泉街の守護寺として信仰を集め、本堂は室町時代初期の建立で国の重要文化財に指定されている。湯の由来は、こうして山の上の寺という「目に見える場所」にも結びついている。

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現状 ― 今も湧き続ける「鴻の湯」

コウノトリ伝説の湯とされる「鴻の湯」は、城崎温泉を代表する外湯(そとゆ、共同浴場)の一つとして今も営業しており、庭園を望む造りで知られている。城崎温泉全体は、開湯1300年を掲げ、今も多くの観光客が訪れる現役の温泉地として賑わっている。

城崎の歴史で忘れてはならないのが、大正14年(1925年)5月の北但馬地震である。町は火災で焼け、多くの人命が失われた。いまの木造三階建てを主とする温泉街の街並みの多くは、この震災からの復興の際に整えられたものか、その建物に由来するとされる。湯が湧いている限り客足は絶えなかった、とも記録されており、温泉が町の「生きる支え」であり続けたことがうかがえる。

震災後には、もう一つの転機も訪れた。それまで城崎の旅館には内湯がなく、客は外湯に通うのが当たり前だった。復興の最中に一軒の旅館が内湯を設けたことが、温泉地の伝統を壊すと問題になり、長い争いに発展する。決着は昭和25年(1950年)、内湯は認めるが規模は小さく抑え、大きな風呂を望む客は従来どおり外湯へ、という形だった。源泉は町ぐるみで一括して管理され、各旅館へ配られる仕組みになった。誰かが湯を独り占めしない、という約束が、制度として残ったことになる。

考察 ― なぜ二つの由来は「どちらか」に絞られなかったのか

普通、一つの温泉地に開湯伝説が二つあれば、どちらかが「本当の由来」として選ばれ、もう一方は忘れられていきそうなものだ。ところが城崎温泉では、鳥の伝説と僧侶の伝説が、優劣をつけられることなく、今も並んで語り継がれている。当サイトが興味深く感じるのは、この二つの話が、実は矛盾するというより補い合う関係にあるという点だ。鳥の伝説は「自然そのものが持つ癒やしの力」を、僧侶の伝説は「人の祈りや信仰が世界にもたらす力」を、それぞれ象徴している。これは推察だが、城崎の人々はどちらか一方を選んで切り捨てるのではなく、自然の恵みと人の祈りという、二つの異なる”物語の力”を両方とも大切にしたいと考えたのではないだろうか。一つの答えに絞らず、複数の物語を抱え続けるおおらかさこそが、千年を超えてこの温泉地が愛され続けてきた理由の一つなのかもしれない。

これは当サイトの想像だが、鳥がもたらした伝説と僧侶がもたらした伝説が共存し続けているのは、この温泉地が一つの権威に頼らず、複数の「奇跡の記憶」を積み重ねてきたことの表れでもあるように思う。一つの伝説だけに頼っていれば、その伝説が疑われたときに温泉地の価値そのものが揺らいでしまう。二つの由来を並べて語り継ぐことは、結果として千年以上にわたりこの湯への信頼を絶やさないための、無意識の知恵だったのかもしれない。

もう一つ、当サイトが注目したいのは「湯が誰のものか」という視点だ。伝説の湯は、一人の旅館のものでも、一人の権力者のものでもなく、町全体の財産として扱われてきた。これは推察だが、鳥が見つけた湯と、上人の祈りが呼んだ湯という二つの物語は、どちらも「個人が所有する前から、そこにあった湯」を語っている。自然が差し出し、祈りが開いた湯だからこそ、特定の誰かが囲い込むことは許されない。そう考える土壌が、のちの内湯をめぐる長い争いや、源泉を共同で管理する制度にまでつながったのではないか。伝説は昔話にとどまらず、町の取り決めを支える倫理の根としてはたらいていた、というのが当サイトの見方である。

さらに言えば、二つの由来が持つ「時間のずれ」にも意味があるように思う。鳥の話は、人が来る前から湯があったことを教え、上人の話は、人が湯と向き合い始めた時を教える。つまり前者は「発見」の物語、後者は「感謝と畏れ」の物語である。温泉は、傷や病を癒やしてくれる一方、大地の底から噴き出す荒ぶる力でもある。古い人々にとって、その力を安心して身に浴びるには、動物の導きという柔らかな話と、読経という儀礼の話の両方が必要だったのではないだろうか。これも推察にすぎないが、湯に入る行為が、単なる娯楽ではなく小さな祈りだった時代の名残を、二つの伝説は静かに伝えているように感じられる。

震災の記憶を重ねると、見え方はさらに深まる。街が一度焼け、多くの命が失われた土地で、それでも人々は湯を頼りに町を建て直した。「癒やす」という言葉の重みは、旅人にとっての癒やしと、町の人にとっての再生とで、きっと違っていたはずだ。外湯に灯る明かりや、川沿いの柳を揺らす風の向こうに、そうした暮らしの積み重ねがあると思うと、観光地のにぎわいが少し違って見えてくる。

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普段の顔 ― 外湯めぐりの温泉街

一羽の鳥と一人の僧侶、二つの開湯伝説を持つ城崎温泉は、今では浴衣姿で柳並木の川沿いを歩き、7つの外湯を巡る「外湯めぐり」で知られる関西屈指の温泉地になっている。ロープウェイで登れる大師山からの温泉街の眺めも人気で、外国人観光客の姿も年々増えている。開湯伝説に登場する鴻の湯は今も現役の外湯として営業を続け、伝説の続きを歩いて確かめられる数少ない温泉地の一つだ。

訪問にあたって

城崎温泉は現役の温泉観光地であり、危険な場所ではない。外湯の営業時間や入浴料などの詳細は変わることがあるため、訪問前に城崎温泉観光協会の案内で確認することをすすめる。

なお、ここで紹介した開湯の話は、寺や観光協会などに伝わる伝承であり、年代や出来事を裏づける同時代の史料が確認できるものではない。また、北但馬地震は100年前の災害ではあるが、多くの方が亡くなった出来事であり、軽い話題として扱わないようにしたい。湯の効能や体調への影響が気になる方は、医療機関や宿の案内に相談してほしい。

よくある質問

Q. 「鴻の湯」は今も入浴できますか?

A. はい。城崎温泉を代表する外湯の一つとして、今も営業している。

Q. コウノトリの伝説と僧侶の伝説、どちらが本当の由来ですか?

A. どちらも確定した史実ではなく、口伝によって伝わってきた伝説である。城崎ではどちらか一方に絞られることなく、両方の伝説が今も語り継がれている。

Q. 鴉番組は城崎温泉で取材・撮影を行いましたか?

A. いいえ、現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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