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阿倍仲麻呂の鬼 ― 唐で客死した歌人は、なぜ鬼となって吉備真備を助けたのか

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

阿倍仲麻呂の鬼 ― 唐で客死した歌人は、なぜ鬼となって吉備真備を助けたのか
目次
この怪談の基本情報(地域・時代・出典)を見る
地域・国
中国(唐)・日本
市区町村・エリア
長安(現在の中国・西安市)
カテゴリ
説話
時代区分
奈良時代〜現代(鬼の説話は平安時代後期)
出典
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%80%8D%E4%BB%B2%E9%BA%BB%E5%91%82
出典2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%A4%A7%E8%87%A3%E5%85%A5%E5%94%90%E7%B5%B5%E5%B7%BB
出典3
https://kotobank.jp/word/%E5%90%89%E5%82%99%E7%9C%9F%E5%82%99-51443
出典4
https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/208329/
出典の性質
百科事典・古典文学(説話集・絵巻・和歌集)
最終確認日
2026年9月30日

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」。百人一首7番、阿倍仲麻呂のこの歌を、学校で習ったという人は多いだろう。広い空を振り仰ぐと月が出ている。あれは故郷の春日の、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ――。遠い異国で故郷を思う、澄みきった望郷の歌である。

ところが、平安時代の終わりごろ、この歌の作者は思いもよらない姿で語られるようになる。唐の都の高い楼に巣食う、恐ろしい鬼として。鬼は、後から唐へやってきた日本人・吉備真備の前に現れ、正体を明かし、彼を助けて無事に日本へ帰らせたという。故郷に帰れなかった男が、鬼となって同胞の帰国を助ける。この奇妙な物語は、なぜ生まれたのか。史実の仲麻呂と伝説の鬼を並べながら、その奥にある「帰れなかった者の念」を読み解いていく。

由来 ― 唐で生き、唐で死んだ留学生

阿倍仲麻呂は文武天皇2年(698年)ごろに生まれた。霊亀3年(717年)、19歳ほどの若さで遣唐留学生として唐へ渡る。同じ船団には、のちに右大臣にまで昇る吉備真備や、僧の玄昉も乗っていた。

唐の都・長安で、仲麻呂は抜きんでた才能を示した。唐の最高学府で学び、やがて唐の朝廷に官人として仕えるようになる。唐名を「朝衡(晁衡)」と名乗り、玄宗皇帝に重用されて、宮中の書物を扱う役職などを歴任していった。李白や王維といった、中国文学史に名を残す大詩人たちとも親しく交わった。一人の日本人が、世界帝国の宮廷でこれほど重んじられたのは、きわめて異例のことである。

一方の吉備真備は、十数年にわたって唐で学んだのち、天平7年(735年)に多くの書物や知識を携えて帰国した。仲麻呂は唐に残った。そして天平勝宝5年(753年)、ついに帰国の許しを得る。このとき日本から来ていた遣唐使の一行には、副使として再び唐を訪れていた真備の姿もあった。

仲麻呂は大使の藤原清河と同じ船に乗り込んだ。ところが船は暴風に遭って南へ流され、遠く安南(現在のベトナム北部)に漂着してしまう。乗員の多くが命を落とし、仲麻呂も死んだという知らせが長安に届いた。李白はこのとき、「明月は帰らず碧海に沈む」という句を含む詩を作り、友の死を悼んでいる。しかし仲麻呂は生きていた。苦難の末に長安へ戻ったものの、まもなく安禄山の反乱が起きて唐は大混乱に陥り、帰国の機会は二度と訪れなかった。彼はその後も唐の官人として生き、安南の統治を任されるなどしたのち、宝亀元年(770年)ごろ、70歳を過ぎて長安で没した。唐の皇帝は、その死を悼んで官職を追贈したと伝わる。

「天の原」の歌は、『古今和歌集』の注によれば、753年に帰国しようとした際、明州(現在の浙江省寧波)の海辺で開かれた送別の宴で、月を見て詠んだものとされる。ただし、成立の事情には異説もある。紀貫之の『土佐日記』にも、この歌が少し形を変えて引かれている。いずれにせよ、この歌が「これから帰る者」の歌として伝えられたことは、その後の運命を思うとあまりにも重い。

なぜ「鬼」とされるのか

仲麻呂が鬼として登場するのは、平安時代後期の学者・大江匡房の談話を記した『江談抄』の「吉備入唐間事」という話、そしてそれを絵画化した『吉備大臣入唐絵巻』である。おおよその筋は次のようなものだ。

吉備真備が遣唐使として唐に着くと、その才能を恐れた唐の人々は、彼を試して辱めようと企て、高い楼に閉じ込めてしまう。その楼は、入れられた者が必ず死ぬという恐ろしい場所だった。夜、風雨とともに鬼が現れる。真備が、そのような姿では話ができない、きちんとした身なりで来るようにと告げると、鬼はいったん去り、今度は衣冠を整えた姿で現れた。鬼は、自分もかつて日本から来た遣唐使で、この楼に閉じ込められたまま死んだ者だと明かし、故郷に残してきた子孫のことを尋ねた。真備が知る限りの消息を伝えると、鬼は大いに喜び、この恩に報いようと約束する。

こうして鬼となった仲麻呂は、真備の助け手となる。唐の人々は、難解な古典『文選』を読ませる、囲碁で名人と勝負させる、といった難題を次々と真備に突きつける。鬼は真備を連れて空を飛び、学者たちが『文選』を講じる様子を盗み聞きさせる。囲碁では、真備が相手の石を一つこっそり飲み込んで勝ちをおさめ、唐側が下剤を飲ませて調べても石は出てこなかった。さらに、読む順序が分からないよう文字を並べた謎の予言詩「野馬台詩」を解かせられたときには、真備が日本の神仏に祈ると、一匹の蜘蛛が糸を引いて文字の上をたどり、読む道筋を示したという。最後に真備が不思議な術で日月を隠してしまったため、唐の皇帝はついに彼を日本へ帰すことにした、と物語は結ばれる。

絵巻は12世紀末から13世紀初めの制作とされ、日本の絵巻物を代表する名品の一つだったが、昭和の初めに海外へ売却され、現在はアメリカのボストン美術館が所蔵している。この流出が国内で大きな問題となり、美術品の海外流出を防ぐ法律が作られるきっかけになったことでも知られる。なお、絵巻は冒頭や野馬台詩の場面などを欠いており、物語の全体像は『江談抄』によって補われる。

ここで史実との食い違いに注意しておきたい。真備が二度目に唐を訪れた752〜754年、仲麻呂はまだ生きており、唐の高官として活躍していた。むしろ二人は、帰国の船団で再会していた可能性が高い。つまり「死んで鬼となった仲麻呂が真備を助けた」という話は、時系列の上では成り立たない、完全な伝説である。

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現状 ― 望郷の歌人と、鬼の姿のあいだで

現在、阿倍仲麻呂は何よりもまず「天の原」の歌人として知られている。中国の西安市にある興慶宮公園には、1979年に奈良市との友好都市提携を記念して仲麻呂の記念碑が建てられ、日中友好の象徴としても語られている。故郷を思いながら異国に骨を埋めた彼の生涯は、国を越えて生きた人の物語として、今も多くの人の心を打つ。

一方、鬼としての仲麻呂は、絵巻が海外にあることもあって、一般にはそれほど知られていない。ただ、真備が数々の難題を解く痛快な筋立ては、近年の展覧会や解説書、漫画などで取り上げられることが増え、「赤い鬼が実は仲麻呂だった」という意外性とともに紹介されることも多い。絵巻に描かれた鬼は、赤い肌に角を持つ恐ろしい姿だが、衣冠をつけて現れる場面では、ちゃんとした貴族の姿で描かれている。一人の人物が、鬼と貴族という二つの姿で描かれているのである。

真備のほうは、後世「陰陽道の祖」や「兵法の祖」のようにもみなされ、さまざまな伝説の主人公となった。入唐絵巻の物語も、そうした真備の超人伝説の一部として受け継がれてきた。

考察 ― 帰れなかった者は、なぜ帰る者を助けたのか

当サイトがこの伝説で最も胸を突かれるのは、鬼が真備に最初に尋ねたのが「故郷の子孫の消息」だったという点である。国を越えて名声を得た男が、死してなお知りたかったのは、唐の宮廷での栄誉でも、自分の歌の評判でもなく、日本に残してきた一族がどうしているかということだった。これは推察だが、平安時代の語り手たちは、仲麻呂の最大の苦しみを「帰れなかったこと」そのものよりも、「故郷から忘れられること」への恐れに見ていたのではないだろうか。唐で生き、唐で死んだ男は、日本の側から見れば、いつのまにか記録から消えていく存在だった。鬼の問いかけは、そうした忘却への静かな抵抗のように聞こえる。

次に、なぜ仲麻呂は「鬼」でなければならなかったのか。当サイトの見方では、ここには「帰れなかった死者」に対する古代日本人の感覚が関わっている。故郷の土に葬られず、子孫の祀りも受けられない死者は、安らかな霊にはなれず、さまよう存在になると考えられていた。仲麻呂は異国で死に、日本の誰も彼の墓を守ることができなかった。そうした死者を、人々は鬼として想像せずにはいられなかったのだろう。しかし興味深いのは、その鬼が人を害するのではなく、同胞を助ける側に回ることである。これは推察だが、真備を助けて日本へ帰すことは、仲麻呂にとって、自分が果たせなかった帰国を他人の身を借りて果たす、いわば「代わりの帰郷」だったのではないか。

この物語が語られた時代背景も見逃せない。『江談抄』がまとめられた平安後期には、遣唐使の派遣が途絶えてから、すでに200年以上がたっていた。唐という国も滅び、日本の知識人にとって大陸は、直接行くことのない、書物のなかの憧れの世界になっていた。当サイトでは、この物語に、当時の日本人が中国に抱いていた複雑な感情――深い憧れと、それと裏腹の対抗心――が込められていると考える。唐の知識人たちが仕掛ける難題を、日本人が知恵と神仏の加護と少々のずるさで次々に打ち破る。その痛快さは、「本場」に対する劣等感を物語のなかで晴らす装置でもあったのだろう。そして、その勝利を陰で支えるのが、唐の宮廷で誰よりも深く中国を知り、しかし心は日本にあった仲麻呂だったというのは、実に巧みな配役である。

さらに踏み込めば、語り手の大江匡房自身の姿も透けて見える。匡房は学問の家に生まれ、漢籍の知識で身を立てた当代随一の学者だった。これは推察の域を出ないが、漢籍の世界で生きる者として、匡房は、唐の宮廷で認められた仲麻呂と、日本に知識を持ち帰った真備の双方に、自分たち学者の理想と悲哀を重ねていたのではないか。どれほど学問を究めても、国を越えることの代償は大きい。仲麻呂は学問によって栄達し、そして学問のために故郷を失った人でもあったのだ。

最後に、「天の原」の歌の月に立ち返りたい。唐の空に昇る月も、三笠山に昇る月も、同じ一つの月である。どこにいても同じ月が見えるという発見は、慰めであると同時に、絶望でもある。月は帰れるのに、自分は帰れない。李白が友の死を悼んで「明月は帰らず」と詠んだとき、彼は仲麻呂その人を、海に沈んで二度と戻らない月にたとえた。当サイトの見方では、鬼となった仲麻呂の伝説は、この「帰らない月」を、せめて物語のなかで故郷へ導こうとした、日本の人々の祈りのようなものだったのかもしれない。

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この伝承と向き合う際に

阿倍仲麻呂と吉備真備はいずれも実在の人物であり、仲麻呂が唐で官人として生き、帰国を果たせずに没したことは史実である。一方、仲麻呂が鬼となって真備を助けたという話は、平安後期の説話に基づく伝説であり、年代の上でも史実とは合わない。本記事では両者を区別して紹介した。

仲麻呂の生涯は、日本と中国の交流の歴史を象徴するものとして、両国で大切に語り継がれている。伝説の鬼の姿を面白がるあまり、実在の人物やその出自、関係する国や地域を貶めるような受け止め方は避けてほしい。とりわけ、入唐絵巻の物語は当時の日本人の視点から描かれたものであり、唐の人々を一方的な悪役として描く面があることも、時代の産物として理解しておきたい。

よくある質問

Q. 阿倍仲麻呂は本当に鬼になったのですか?

A. いいえ。仲麻呂が鬼となって吉備真備を助けたという話は、平安後期の『江談抄』や『吉備大臣入唐絵巻』に見える伝説です。実際には、真備が二度目に唐を訪れた時期、仲麻呂は生存しており唐の官人として活躍していました。

Q. 「天の原」の歌はどこで詠まれたのですか?

A. 『古今和歌集』の注では、753年に帰国しようとした仲麻呂が、明州の海辺での送別の宴で月を見て詠んだとされています。ただし、成立の事情については異説もあります。

Q. 仲麻呂はなぜ日本に帰れなかったのですか?

A. 753年に帰国の船に乗りましたが、暴風で安南に流されました。長安に戻った後、安禄山の反乱で唐が混乱し、帰国の機会が失われたため、そのまま唐で生涯を終えました。

Q. 『吉備大臣入唐絵巻』はどこで見られますか?

A. 現在はアメリカのボストン美術館が所蔵しています。昭和初期に海外へ売却されたもので、展覧会などで日本に里帰りして公開されたこともあります。

Q. 仲麻呂の鬼は、絵巻でどのように描かれていますか?

A. 赤い肌に角を持つ恐ろしい鬼の姿で現れますが、真備に言われて衣冠を整えた貴族の姿でも描かれています。一人の人物が鬼と貴族の二つの姿で描き分けられている点が特徴です。

仲麻呂の「天の原」の歌は、鴉番組の百人一首占いでも引くことができる。

Q. 鴉番組は阿倍仲麻呂の鬼の伝説について取材・撮影を行いましたか?

A. いいえ、阿倍仲麻呂の鬼の伝説については現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

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