鴉番組 KARASU CHANNEL
N 35°41′ / E 139°41′
SCROLL TO DESCEND
HOMEARTICLES怪談両面宿儺(りょうめんすくな)――朝廷が「鬼」と呼び、飛騨が「英雄」と祀った男

両面宿儺(りょうめんすくな)――朝廷が「鬼」と呼び、飛騨が「英雄」と祀った男

監修:鈴king.(鴉番組/オカルト・ホラー取材7年)

両面宿儺(りょうめんすくな)――朝廷が「鬼」と呼び、飛騨が「英雄」と祀った男
目次
この怪談の基本情報(地域・時代・出典)を見る
地域・国
岐阜県
市区町村・エリア
高山市丹生川町ほか飛騨地方一円(千光寺・善久寺など)
カテゴリ
伝承・民話/史実由来
時代区分
古墳時代(5世紀・仁徳天皇の時代の伝承)
出典
日本書紀(原典、仁徳天皇65年条)
出典2
Wikipedia「両面宿儺」 https://ja.wikipedia.org/wiki/両面宿儺
出典3
MADE IN LOCAL「両面宿儺の実体に迫る」 https://madeinlocal.jp/area/gifu/knowledge/048
出典の性質
史書(原典)/Wikipedia・事典/地域メディア
最終確認日
2026年9月16日

岐阜県北部・飛騨(ひだ)地方には、一つの体に二つの顔を持つという異形の人物「両面宿儺(りょうめんすくな)」の伝説が今も色濃く残っている。奈良時代に朝廷がまとめた歴史書『日本書紀(にほんしょき)』には、人々を苦しめたために討伐された「悪者」として記録される一方、当の飛騨地方では正反対に、地域を開いた寺の開祖・英雄として今も寺社に祀られ、地元の特産品やお祭りの名前にまで使われている。同じ一人の人物が、記録した場所によってここまで評価が変わる例は珍しい。

近年では、漫画『呪術廻戦』に登場する同じ名前のキャラクターの由来として、この名に初めて触れたという人も多い。だが、もとになった伝説そのものは、朝廷と飛騨とでまるで正反対の人物像を伝えている。本記事では、その食い違いを史料と土地の信仰からたどっていく。

由来 ― 『日本書紀』が記す「討伐された怪人」

『日本書紀』は、8世紀の初めに朝廷(当時の大和王権〈やまとおうけん〉、現在の奈良県を中心にした国内最大の政治勢力)が編纂した、日本最古の正式な歴史書のひとつだ。この中の仁徳天皇(にんとくてんのう)65年の条に、両面宿儺についての記述がある。それによると、飛騨国に「壹體有兩面(ひとつの胴体に二つの顔)」を持つ人物が現れた。顔はそれぞれ反対方向を向き、頭のてっぺんはくっついてうなじが無く、手足はそれぞれ四本ずつ、合わせて八本を備えていたという。四本の手で弓矢を同時に扱い、左右の腰に剣を帯びていたとも伝わる。この人物は皇命(朝廷の命令)に従わず、「人民から略奪することを楽しんでいた」とされ、最終的に和珥臣(わにのおみ)氏の祖・難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)という人物によって誅(ちゅう)された、つまり討伐されたと記している。

これが、両面宿儺という名が歴史書に残る唯一の「公式な」記録である。朝廷側の記録としては、地方に現れた反逆者・化け物を英雄が退治した、というよくある構図の一つに過ぎない。

なぜ「鬼」と呼ばれたのか ― 中央から見た飛騨

両面宿儺の姿には、結合双生児(けつごうそうせいじ、生まれつき体の一部がつながった状態で生まれる双子)などをもとに、実在しうる身体的特徴を誇張して描いた可能性を指摘する見方もある。ただし当サイトが注目したいのは、この記述が生まれた背景そのものだ。歴史学の分野では、この仁徳紀の記述を「5世紀ごろ、大和王権が飛騨地方の豪族を征服した事実の反映ではないか」と見る説がある。飛騨には4世紀の古墳(豪族の墓)が複数築造されていることから、一度は朝廷の勢力圏に組み込まれた飛騨の豪族が、何らかの理由で反乱を起こし、それが鎮圧される過程を「怪人の討伐」という物語に置き換えて記録したのではないか、という指摘だ。

当サイトの見方では、これは日本各地に見られる「まつろわぬ民(朝廷に従わなかった人々)」の物語の典型例のひとつだと考えている。朝廷の支配が及びにくい辺境の勢力は、しばしば「鬼」「土蜘蛛(つちぐも)」「賊」といった異形の存在として歴史書に記録される。両面宿儺の「二つの顔」「八本の手足」という誇張された姿も、実際の身体的特徴というより、中央から見た「異質で従わない者」への恐れや蔑(さげす)みが、そのまま怪物としての造形に反映された結果ではないか、というのが当サイトの推察である。歴史は勝者が書くものであり、飛騨の豪族が朝廷に敗れた側だったからこそ、彼らの指導者は「悪者」として記録に残された、という構図が透けて見える。

エルティーアイ(LTI) アルファフラッシュ 高輝度蓄光テープ(幅10mm×1m) AF1001の商品画像
PR

廃墟や洞窟など電灯のない心霊スポットで、入口や分岐点に貼って帰り道の目印にする高輝度蓄光テープ。太陽光や懐中電灯の光を吸収し暗闇で6〜8時間発光、電池不要で迷子防止に役立つ。

エルティーアイ(LTI) アルファフラッシュ 高輝度蓄光テープ(幅10mm×1m) AF1001

商品の購入により、当サイトが紹介料を受け取る場合があります。

飛騨地方では正反対 ― 寺を開いた「英雄」として

ところが、当の飛騨地方に伝わる両面宿儺像は、『日本書紀』とはまったく異なる。高山市丹生川町(にゅうかわちょう)にある千光寺(せんこうじ)は、両面宿儺が「救世観音(くせかんのん、人々を救うために現れた観音菩薩)の化身」として自ら開いた寺だと伝えている。同じく丹生川町の善久寺(ぜんきゅうじ)も両面宿儺の創建と伝わり、境内には彼が食事をしたという「御膳石(ごぜんいし)」が今も残る。ほかにも、毒龍(どくりゅう)を鎮めたという日龍峰寺(にちりゅうぶじ)の伝承など、飛騨各地に「地域を開き、人々を守った」という英雄譚が点在している。

千光寺には、江戸時代の僧・円空(えんくう、全国を旅しながら生涯に十二万体ともいわれる仏像を彫ったとされる修行僧)が刻んだ「両面宿儺立像」「両面宿儺坐像」が今も伝わっている。円空が彫った像は、二つ目の顔が肩の位置に並ぶ独特な造形で、朝廷の記録にある「怪物」というより、力強い守り神のような姿に表現されているのが特徴だ。現在も飛騨地方では、両面宿儺にちなんだ特産のかぼちゃ「宿儺かぼちゃ」や、地元の祭り、ゆるキャラなどが親しまれており、討伐された怪人ではなく、地域の誇りとして生き続けている。

在地の伝承は、寺ごとに少しずつ内容が異なる。千光寺の縁起を記した『千光寺記』(元和7年〈1621年〉の奥書をもつ)には、宿儺は日面の岩窟から現れた「救世観音の化身」で、一つの頭に二つの顔、四本の腕と二本の脚をもち、千光寺を開いたと記される。その際、山頂の土の中から石棺が見つかり、法華経や袈裟、千手観音の像を得たともいう。一方、関市の日龍峰寺の縁起では、両面四臂の異人が高沢山の毒龍を鎮めたと伝え、金山町の伝承では、武振熊命の討伐を知った宿儺が山にこもって祈り、やがて敗れて討死した、とも語られる。

ここで一つ、冷静に押さえておきたい点がある。これらの在地伝承の多くは、江戸時代以降に文字に記されたものだ。また、『日本書紀』が伝える仁徳天皇の時代は5世紀前半にあたり、この時期に日本列島へ仏教が広まっていたとは考えにくい。討伐したとされる武振熊命も、時代がやや早い武将とされており、書紀の記述と寺の縁起は、時間的に整合しない。したがって、宿儺を寺の開基とする伝承は、史実というより、のちの信仰が古い伝説に重ねたものと見るのが自然である。それでも、飛騨国の名が国の歴史書に初めて現れるのがこの記事であり、現地の英雄伝承を併せて考えれば、ただの怪異譚ではないと見る研究者もいる。

考察 ― 「鬼」にされた者を祀るということ

両面宿儺の話が興味深いのは、単に「中央と地方で評価が違う伝承」という珍しさだけではない。飛騨の人々が、朝廷から「討伐すべき怪物」とされた人物を、わざわざ寺の開祖・守り神として祀り続けてきたという点にこそ、当サイトは重みを感じる。もし飛騨の人々が朝廷の記録をそのまま受け入れていたなら、両面宿儺は単なる「退治された悪者」として忘れ去られていたはずだ。ところが実際には、千光寺や善久寺という信仰の場に、円空という後世の名工の手による像まで残されて、千年以上にわたって語り継がれてきた。これは、征服された側の人々が、自分たちの指導者や祖先の記憶を、勝者が押し付けた「怪物」という物語のままでは終わらせなかった、という一種の抵抗の記録なのではないだろうか。

これは推察だが、飛騨のように険しい山々に囲まれ、中央の支配が及びにくかった土地だからこそ、朝廷の記録とは別に、自分たちの言葉で語り継ぐ物語を保ち続けることができたのではないかとも考えられる。「鬼」や「土蜘蛛」とされた者たちの多くは、記録する側の言葉しか歴史に残らず、その後の評価を自分たちで語り直す機会を持てなかった。両面宿儺は、その数少ない例外のひとつだ。討伐された者の名が、討伐した側の言葉ではなく、討伐された側の土地の言葉で今も呼ばれ続けている。当サイトはここに、単なる怪異譚を超えた、記憶と誇りをめぐる長い物語を見出したい。

これも当サイトの想像に過ぎないが、前後に二つの顔を持ち、四本の腕と四本の脚を持つという両面宿儺の姿に、実際に山中で真正面から遭遇する場面を想像すると、単なる伝承では済まされない恐怖がある。前を向いても後ろを向いても、必ずどちらかの顔と目が合ってしまう——逃げ場のないその異形の姿に、朝廷の兵たちが討伐に向かう前から底知れぬ恐れを抱いていたであろうことは想像に難くない。飛騨の山深くに今もその力が眠っているのだとすれば、二つの顔はまだ、どこかでこちらを見ているのかもしれない。

もう一つ、当サイトが印象に残っているのは、宿儺を討った側とされる武振熊命を祀る八幡社が、飛騨各地にも残るという点だ。つまり、討たれた者を英雄として祀る寺と、討った者を祀る社が、同じ土地に並んで存在していることになる。どちらか一方の物語に統一せず、二つの記憶を共存させてきたのだとすれば、この土地の人々は、歴史を単純な勝敗の物語として受け取ってこなかったのかもしれない。これは推察だが、征服された側の記憶を守りつつ、征服者の物語とも折り合いをつけて暮らしてきたというしたたかさが、飛騨の伝承の奥行きをつくっているのではないだろうか。

高儀(Takagi) EARTH MAN 充電式LEDマルチハンドライト HLT-10LiAの商品画像
PR

懐中電灯タイプとヘッドライトタイプの中間のような形状で、配光角約300°の広範囲照射ができるため、廃墟内など広い空間を一度に照らしたいときに向く。フックが付いており天井や柱に吊るして即席の据え置きライトとしても使える。

高儀(Takagi) EARTH MAN 充電式LEDマルチハンドライト HLT-10LiA

商品の購入により、当サイトが紹介料を受け取る場合があります。

普段の顔 ― 円空仏と杉木立の山寺

朝廷から鬼と呼ばれた両面宿儺ゆかりの千光寺は、飛騨の山中にひっそりと佇む古刹であると同時に、江戸時代の僧・円空が刻んだ数多くの仏像を伝える寺としても知られる。境内には樹齢を重ねた杉の大木が立ち並び、木漏れ日の中を歩くだけで心が落ち着く。英雄か鬼かという評価の分かれる伝説の裏で、千光寺は今も静かに祈りと自然を守り続ける、山岳信仰の面影を残す寺である。

信仰の場としての配慮

千光寺・善久寺はいずれも現在も活動している宗教法人であり、両面宿儺像は信仰の対象として大切に祀られている。物見遊山や肝試しの対象として扱うのではなく、拝観できる時間や作法について事前に各寺へ確認したうえで、敬意を持って参拝してほしい。本記事は、飛騨地方に伝わる歴史・信仰・地域の誇りを記録するために掲載するものであり、信仰そのものを茶化す意図はまったくない。

よくある質問

Q. 両面宿儺の読み方は「リャンメンスクナ」ですか?

A. いいえ。正式な読み方は「りょうめんすくな」である。「りゃんめんすくな」という読み方もSNS等で見かけるが、これは広く知られる誤読であり、出典の『日本書紀』関連文献や国内の主要な事典類ではいずれも「りょうめんすくな」の読みで統一されている。

Q. 両面宿儺は実在した人物ですか?

A. 断定はできない。『日本書紀』の記述をそのまま史実とみなす学説は少なく、5世紀ごろに大和王権と対立した飛騨地方の豪族の存在を反映した伝承ではないかとする見方が有力だが、確定した結論は出ていない。

Q. 両面宿儺の像はどこで見られますか?

A. 高山市丹生川町の千光寺には、円空作と伝わる両面宿儺立像・坐像が伝わる。拝観の可否や時間は変更されることがあるため、訪問前に寺へ直接確認することをすすめる。

Q. 鴉番組は千光寺・善久寺で取材・撮影を行いましたか?

A. いいえ、現在取材を行っておらず、実施を検討中です。その他の心霊スポット・怪談の取材動画は、カラスチャンネル(YouTube)よりご覧いただけます。

鴉番組

監修者:鈴king.

所属:鴉番組

取材歴:オカルト・ホラー取材7年目(2020年〜)

フォロワー数:YouTube 5,000人超え・X 25,000人超え

現地取材:30件以上

あなたが一番怖いと思う記事は?

この記事が一番怖いと思ったら、下のボタンを押してください。サイト全体で1票、あとから別の記事に変更もできます。

この記事はいかがでしたか?

お気に入り登録すると、マイページから登録した記事をまとめて確認できます。

無料会員登録はこちらから

投稿募集中

この記事のような体験、他にもありませんか。あなたの実話怪談を投稿できます。内容を確認のうえ掲載します。

投稿する ↗

コメント

コメントを書く

最新怪談記事
ENGLISH